オーストリア継承戦争 War of the Austrian Succession


1740年から1748年にかけて、ハプスブルク家領土の継承権をめぐりおきた戦争。
神聖ローマ皇帝、カール6世は1713年に国事詔書<プラグマティッシュ=ザンクツィオン>で、領土不分割と男子相続を宣言したが、唯一人の息子を失ったため、1724年の国事詔書では一転して、娘のマリア・テレジアの継承を認め強引に列国の承認を得た。1740年父の死でマリア・テレジアが23才にしてその家督を継ぐと、ハプスブルクの弱体化を図る、プロイセン、ザクセン、相続権を主張するバイエルン、そしてブルボン朝のフランス、スペインがその相続に反対し攻撃する。これらの国に対しマリア・テレジアはイギリスを同盟国として果敢に戦い、イギリスとフランスが植民地問題で戦争を始めたこと(ジョージ王戦争)などで危機を脱する。
1748年アーヘンの和約が結ばれ、これにより列強諸国は国事詔書の取り決めを認め、オーストリアは国土の一部(シュレージェン)を失った他はほぼ全領土を確保した。