普墺戦争 Austro-Prussian War 1866
プロイセンの首相ビスマルクはオーストリア排撃政策とプロイセンの軍備拡張を行う。この事がオーストリアを刺激し、両国の対立が激化する。
1866年、ビスマルクはプロイセンとオーストリア両国の管理下にあったシュレースヴィヒ・ホルシュタインを、プロイセン一国のものにしようとし、その事に端を発し開戦となる。
ビスマルクは巧みな外交工作でイタリア、フランス、ロシアに中立を守らせ、わずか7週間でオーストリアを降伏させ、プラハの和約を結んだ。その結果オーストリアはドイツからしめ出され、プロイセンの北ドイツ連邦組織が承認され、ドイツ統一の基礎ができた。