ゲーテ  Johann Wolfgang von Goethe (1749-1832)
      
ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ



ドイツの詩人・文学者・政治家。
フランクフルト アム マイン の裕福な市民の長男として、1749年に生まれる。父は帝室顧問官の肩書きを持ち、母は同市市長の娘であった。16歳の時父の意志で法律勉強のためライプツィヒに遊学。そこで無理な学生生活がたたって病気になり、フランクフルトに戻ったが、健康が回復すると今度はストラスブール大学で法律の勉強を再開した。最初の大作「ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン」の構想はこの頃練られていたものと考えられる。卒業して、帝国高等法院のあったウェッツラーの町で弁護士の修行を始めたが、彼の情熱は恋愛と創作の方に注がれるばかり。外交官だった親友ケストナーの若く美しい婚約者ロッテに激しい思慕を寄せ、傷心を抱いてフランクフルトに戻る。その直後、ウェツラーでのもう一人の親友が失恋のあまり自殺したという知らせを受け、電撃を打たれたようになる。その衝撃は二年後に「若きヴェルテルの悩み」となって結晶し、彼の文名は一躍世に高まった。「シュトゥルム・ウント・ドランク(疾風怒涛時代)」<ドイツに起こった、因習や伝統を否定し個性と意欲と自然を尊重する文学運動>の旗手としてドイツのみならず外国でも有名となる。

26歳の時彼はワイマール公の招きに応じ、フランクフルトを離れた。そうして小さなワイマール公国の総理大臣のような地位に就き、最初の10年あまりは政務に没頭した。この頃7才年上の人妻、シャルロッテ・フォン・シュタイン夫人との交友があり、つきあいの続いた約10年の間に彼は1781通もの手紙を夫人に送っている。
1786年から88年にかけてイタリア旅行に出かけた後は、雑多な政務から解放され、創作、演劇振興などの文化活動に専念するようになる。
1789年にフランス革命が起こると反革命軍に2度従軍し、ヴァルミーの戦い(1792年)ではフランス軍の勝利を目撃「この日、この地から新しい世界史の時代が始まる」という有名な言葉を日記に記す。
1794年50才の時シラーとの交流が始まり、この事はゲーテの文学に大きな影響を及ぼす。
1795年に発表された「ヴィルヘルム・マイスターの修業時代」はドイツ教養小説の最高峰とうたわれ、叙事詩「ヘルマンとドローアテ(97年)」とともに古典主義への傾斜を示した。
1805年シラーが亡くなり、ゲーテもその晩年期を迎える。
1829年に「ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代」を発表する。先に発表した「修業時代」とあわせて時代と社会の一大絵巻となっている。その後に発表された「ファウスト(第1部08年、第2部31年)」は個人の生涯が人類の歴史の深さと広さにも区敵する事を示した叙事文学であり、どちらも世界文学中の最高傑作と評されている。その他1811年から1831年にかけて自伝的な「詩と真実」を、1816年から1829年にかけては「イタリア紀行」を発表している。

ゲーテはワイマールで82歳の生涯を終えたが、その家は内外ともにゲーテ生前のままに保存され、記念館になっている。死に際して「さ、よろい扉をあけておくれ、もっと光を。・・・もっと光を」とつぶやいた事は有名である。