ライン同盟 Rheinbund 1806年



1806年ナポレオンによってドイツ国内に作られた諸国同盟。ナポレオンを盟主とし、大司教ダルベルクを総裁として連邦君主会議により運営された。

1789年フランス大革命が起こり、国王と王妃の処刑という事態に列国の君主は軍隊を出しこれを鎮圧しようとした。諸外国の干渉をはね返し、祖国と革命の成果を守るために戦っていたフランス軍は勝利を重ねるうちに諸外国の人民にも革命の恩恵を及ぼすという名のもと、フランスの従属国を造ろうと各国に攻め入る。プロイセンは1806年にナポレオン軍に戦いを挑み完敗する。ドイツにはそれまで大小とりまぜて300あまりの領方があり、そのうち君主国が250、帝国自由都市が約50あり、独立国に等しい権限が与えられていた。ナポレオンの一撃によりこれらの領土からなる神聖ローマ帝国が崩壊し、ライン同盟が建設された。運営にあたった連邦君主会議はプロイセン・オーストリアの2大国を除く全ドイツ諸国が加盟し各国でナポレオン法典導入などの改革が行われたが、連邦自体の活動としてはナポレオンに6万3000の兵力を提供したのみであった。1813年モスクワ遠征失敗により没落したナポレオンとともにライン同盟も解体した。