神聖ローマ帝国 962〜1806
Heiliges Romisches Reich Doutscher Nation


中世より19世紀初頭に至るまでのドイツ国家の呼称。この呼び方そのものは15世紀にしか遡らないが、起源は800年のカール大帝の戴冠で、実質上は962年ローマでのオットー1世の戴冠と考えられる。
皇帝は血統権に基づく選挙制で選出され、ローマでの戴冠を必要とした。諸侯の権力を抑えるために皇帝に直属する教会・修道院をその支柱としていく政策がとられていくが、11世紀に高位聖職者の叙任権をめぐり教皇との間に闘争が起こり、教会との結びつきが弱まることになり、その結果諸領邦の自立化を促すこととなる。14世紀以降皇帝選挙制が確立し、7人の選帝候によって構成される会議に於いて、公開選挙が行われ、多数決で皇帝が決められるようになる。皇帝はフランクフルトで選挙、アーヘンで戴冠式、ニュールンベルクで最初の帝国議会を開くのが慣行となり、1562年以降は戴冠式もフランクフルトで行われるようになった。
1438年以降、帝位はハプスブルク家に定着し、カール5世以降は教皇による戴冠も無く、帝国は形骸化し、完全なドイツ国家となった。ライン同盟が、1806年帝国からの脱会を宣言したために、最後の皇帝フランツ2世は帝冠を辞し、ここに神聖ローマ帝国は完全に崩壊した。