ティルジットの屈辱 Tilsit 1807年



1807年ナポレオン1世とプロイセン王フリードリッヒ・ヴィルヘルム3世、ロシア皇帝アレクサンドル1世との間に結ばれた平和条約。

プロイセンは1806年にナポレオン軍に戦いを挑み完敗し、ナポレオンから一方的にティルジットの和約を押しつけられる。その内容は産業が最も発達していたエルベ川左岸全域をばっさりと削り取られ、軍備の削減と莫大な賠償金を支払うという屈辱的なものだった。この奪い取った地域にナポレオンはヴェストファーレン王国を造り、自分の弟ジェロームをその君主とした。

<1813年モスクワ遠征に失敗しナポレオンは失墜する。ナポレオン打倒に重要な役割を果たしたプロイセンは戦後のウィーン会議でヴェストファーレン王国とフランス領に編入されていたライン左岸などのドイツで最も近代化が発達していたライン地方を支配下に収めることになる>