|
■レーマーベルク(ローマ人の丘)広場 Romerberg
Platz
この広場は中世の都市国家フランクフルトの中心で、旧市庁舎だったレーマー、ニコライ教会、15世紀の都市貴族の家屋などに囲まれている。広場を支配しているのはレーマーであるが、ゴシックのレーマーと対象的な、その向かい側の木組み建築も歴史的な家並みである。15世紀(後期ルネッサンス様式)の貴族の館「ハウス・ヴェーアトハイム」で、戦後昔の写真と設計図を元に完全に復元された。広場の中央には公正を表す天秤を持った正義の女神の噴水とバロック式のミネルバの噴水がある。昔皇帝の戴冠式が行われた日にはここで受難劇が演じられ、この噴水からはワインが流れ出て市民に振る舞われた。現在も市内最大の広場であり、演説やデモの会場となったり、夏にはマイン川の夏祭りのお祭り広場となり12月になるとクリスマスの市がたつ
■レーマー Romer(内部の見学には20分程必要)
開 : 火-日 11:00〜14:30 料金 : DM3
フランクフルトのシンボル。1405年に市は3件の建物を買い上げ市庁舎に改造した。真ん中にあるひときわ見事な建物はツム・レーマーという屋号を持つ、長い間ローマと取引をしていた豪商のものだった。この屋号が市庁舎そのものの名称となり、回りの広場をレーマー広場と呼ぶようになった。レーマーの入り口は馬車が商品を積んだまま出入りできるように、大きく造られている。市庁舎として使われるようになってからもこの利点を生かし1階は商品取引所として使われた。奥は非常に広く、中庭へ通じている。正面にはフランクフルトに関係の深い4人の皇帝の像が飾られている。左から「フランクフルトで最初に選出された王フリードリッヒ・バルバロッサ」、「バイエルン王ルードヴィッヒ」、「金印勅書を発布し、街の経済的政治的発展に貢献したカール4世」、「ここで選出され同時に戴冠した最初の皇帝、マクシミリアン2世」である。1556年以来皇帝の戴冠式後の祝宴が開かれてきた広間は「皇帝の広間」と呼ばれる。1756年ヨーゼフ2世の戴冠式後の祝宴の様子を、当時14歳だったゲーテが、その著書「詩と真実」のなかに生き生きと描いている。現在「皇帝の広間」には19cの著名画家達による52枚の皇帝の肖像画が飾られ、特別クラスの迎賓、祝賀に使用される。その他有名な螺旋階段とヘラクレスの噴水のある、レーマーヘーフヒェンと呼ばれる中世の中庭が見所。レーマーは今も一部市庁舎として使用されており、中にある戸籍係で結婚式を挙げるカップルがいる。レーマーの前に着飾った人々がお米を手に持って待っているようだったら、花嫁、花婿が間もなく出てくるでしょう
■ドーム Dom
開 9:00〜13:00 14:30〜17:00
(夏期は18:00)
聖バルトロメオに捧げられた教会。1152年以来神聖ローマ帝国皇帝の選挙が行われ、1562年から皇帝戴冠式も行われた。別名カイザードーム(皇帝の大聖堂)とも呼ばれる。ドームというのは教会の位を表す名称で、司教座の置かれた教会のみが名乗れる。建物は9世紀に造られた教会を、13、14世紀にゴシック様式に増改築したもの。ゴシック様式の内陣ではハンス・バックオッフェンの十字架の道行き像、マリア・シュラーフ祭壇が見所。
教会内ドーム博物館
10:00〜17:00
(土、日、祭は11:00から)
月曜休み 料金 DM2
戴冠式に使われた豪華な僧衣、ここの守護聖人バルトロメオの遺物容器など展示
ドームの塔 料金 DM1 12:30〜14:30の昼休みを除く、冬季は閉鎖
高さ95m、383段の階段を登る。火事や敵の早期発見の為1869年に完成。上からは街の眺望が望める
■パウルス教会 Paulskirche
古典建築様式の楕円形の教会。1786年ちょうどフランス革命勃発の年に建て始められたこの教会は、ナポレオンのフランス軍占領時代には建築が中断されたため、1833年になってやっと完成した。1848年の3月革命後、ドイツ史上初めての選挙に基づく代表者により、国民の基本権と民族の統一が論じられた、第1回ドイツ国民議会が開催された場所。東西ドイツの統一が実現する前は、民族統一のシンボルとみなされてきたほど、ドイツ国民にとっては歴史的に由緒ある建物である。現在の建物は戦後1948年の国民議会100周年記念の日に、全国からの寄付で再建されたもの。現在公式行事やゲーテ賞、ドイツ出版平和賞の授与式などがここで行われる。外壁には名誉市民を記念する銘板がある。
■ゲーテハウス Goethehaus
Grosser Hirchgraben
23-25
ゲーテハウスは5階建てと4階建ての建物が並んだ形になっている。現在、向かって右側の4階建ての方はゲーテゆかりの品々を集めた博物館、写真にある5階建ての建物はゲーテの少年時代のとおりに復元されている。これら2つの家はいずれも1590年頃、裕福な商人の家として建てられ、ゲーテの祖母が1730年頃に買い取ったもの。ゲーテが6歳のとき父が2つの家をつなぎ合わせ、内部も改装した。1749年8月23日にゲーテはこの家で生まれ、1775年にワイマールへ行くまでこの家で暮らした。その著書「詩と真実」の中でゲーテはフランクフルトの幼年時代と青年時代について書いている。第2次世界大戦で大破したが、戦争が終わった日から、フランクフルト市民は自分の家の片づけもそこそこにゲーテの家に集まり、灰の中から石のかけら、金具などを一つ一つ手で掘り出し集め、木部や壁は専門家の考証に従って忠実に復元した。市民のゲーテに対する熱い思いを感じさせる。また展示されている家具や調度品は疎開してあったオリジナルのものである。単にゲーテの生家というだけではなく18世紀の裕福な市民の暮らしを伝える。門を入ると右手にチケット売場、メインの建物に入り廊下を進み、中庭を通り勝手口から入るようになっている。
1階・・オーブンのある台所、バロック風装飾の食堂、左側の階段手すりは瓦礫の下から発見されたもの。2階への階段の途中にあるローマ名所の石版画は、父がイタリア旅行の土産に持ち帰ったもので、ゲーテにイタリアへの憧れを抱かせた。
2階・・ロココ風装飾の中国模様の壁紙を張ったサロンは、北京の間と呼ばれていた。北の間には先祖の肖像画が、音楽室には貴重なグラビコード(ピアノの前進になる楽器)や楽譜が置かれている。ここでゲーテはチェロを、父はリュートをひいた。
3階・・ここには年号から月の満ち欠けまでを表す大時計があり、今でも動いている。父の書斎、美術室、母の部屋、妹コルネリアの部屋、ゲーテが生まれた部屋などルイ14世風の装飾
4階・・ゲーテが「若きヴェルテルの悩み」「ファウスト」の初稿を執筆した詩人の部屋、自作自演の劇をしたという素朴な人形劇場の部屋、陳列室
ゲーテ博物館・・建物に入ってすぐの階段を上がったところ。ゲーテに関する資料、10万冊の書籍や400点程の絵画、彫刻が収められている
■ハウプトバッヘ広場 Hauptwache Platz
市の中心に位置し、主要道路はすべてここから始まっている。広場の中央には、1730年に建てられた町の衛兵所が復元され、現在は市民に人気のカフェとなっている。通りを挟んだ向かい側には時計塔のあるカタリーネン教会がある。1353年に建てられ、宗教改革後にプロテスタントの教会となった。ゲーテが洗礼を受けた教会で、ゲーテ一家の専用席も設けられていた。1944年の戦災で全焼し、60年代に再建されたが、かつての華やかなバロック様式の面影はない。毎週、月、木曜の夕方からパイプオルガンの演奏があり、自由に見学できる。
広場から東にのびるツァイル通り<Zeil>は、終日歩行者天国のショッピングゾーンで、カウホーフとヘルティの2大デパートがある。南西にのびるロスマルクトやゲーテ広場から続くゲーテ通りにはヨーロッパの有名ブランドのブティックが軒を連ねる。
|