- 大学広場 Uni Platz
<獅子の噴水(獅子はプファルツ選帝候の紋章)のあたりで説明>
ハイデルベルク大学は1386年ドイツで初めて創設された大学で、正式名を「ルプレヒト・カール大学」という。(cf. ヨーロッパの古い大学、イタリアのサレル大学12c、イギリスのオックスフォード大学12c、フランスのソルボンヌ大学13c)現在残る建物は14cのものではないが、その伝統は今に受け継がれている。ドイツの大学に限らずヨーロッパの古い大学は、日本のようなキャンパスはなく、教室や研究室が町中に分散している。ここハイデルベルク大学は、過去7人のノーベル賞受賞者をだしている名門大学。特に名高いのは医学部で、その医学部の研究室や自然科学の新しい建物は、隣接している町ノイエンハイムにある。
日本の代表的な経済学者、大内兵衛氏は、第1時世界大戦直後の1921年にハイデルベルクに留学しているが、この地を選んだ理由として、「レーデラという若い社会主義者の教授がいる。他にはこういう教授はいない。彼に学ぼうと思ったから」とその自伝で述べている。歴史家、羽仁五郎氏や、哲学者、三木清氏なども、哲学者リッカートに学ぼうと、ここを留学の地と選んでいる。三木氏は第二次世界大戦の終結直後に獄死したが、大内氏、羽仁氏は、戦後それぞれの分野で活躍した。日本の経済学、歴史学、哲学の先達たちの学んだ所でもある。
旧大学校舎
- 噴水の後ろにある、赤い窓枠の建物は、旧大学校舎で、1712年に建てられた建物。バロック様式の大きな屋根とその上に乗っている時計塔が印象的。建物の3階には大学の500年祭を記念して1885年に改装された記念講堂がある。
- 新大学校舎
- 正面の建物は新校舎で、ハイデルベルク大学を卒業したアメリカ人同窓会の援助を受けて1933年(昭和8年)に建てられた講堂。第2次世界大戦では、ハイデルベルク大学卒業のアメリカ軍将校たちがハイデルベルクを守ろうと尽力を尽くし、この町は戦火から救われた。昭和20年5月8日にドイツは敗戦を迎えている。
<時間に余裕があるのなら中庭に入ってみるのもよいでしょう>新大学校舎の中庭には、13cに築かれた古い城壁の、西南の角を固めていた塔が残されている。現在ヘクセントゥルム(魔女の塔)と呼ばれていて、昔は女子牢として使われていた。塔の向かいの建物は、かつてのイエズス会付属学校で、後に大学図書館として用いられ、現在は英文科が使用している。
- 大学図書館
- 新大学校舎に向かって右手の建物は、220万冊の蔵書を誇る大学図書館。中世の詩の珍しい収集や、世界的に有名な中世写本マネッセを所有する。内部は自由に立ち入ることができる。開10:00-23:00(土曜10:00-19:00)日曜休館
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学生牢 Studentenkarzer
Augustinergasse 2
旧大学校舎ができた1712年から第1次世界大戦が始まる1941年まで実際に使用されていた。当時軽犯罪を犯した学生に対する監督権は、警察ではなく大学当局にあった。学生が町で騒ぎを起こし、町の人からたくさんの苦情があげられ、それに困った大学当局が、その苦情に対処するため学生牢を造った。泥酔や乱闘、夜間に騒いだりの違反に対しては最低でも3日、最高14日間、警察ともめたような場合には4週間、この学生牢に入れられた。バンカラな校風を持つ大学の学生達は、ここに入ることを誇りに思っていた。この牢に入れられると言うことは、勇ましい学生の証で、名誉と考えられていて、牢に入るため自ら罪を犯した学生も多かった。学生牢に入れられても講義を聴きに行くことが義務づけられていて、はじめの2、3日はパンと水だけの食事だったが、そのあとは外からの差し入れも許されていた。牢内の壁や天井には、水彩やろうそくのすすで描かれた絵や文字、そして当時流行の横顔の自画像などが描かれている。新しいところは写真なども残されている。各部屋はサンスーシーとかグランドホテルなど様々な名前がつけられている。戴冠式の部屋(トイレ)の前の机のうえには大きなノートが置かれているので、記念に何か一筆書いていこう。
ツムリッター Zum
Ritter Hauptstr.178 Tel(06221)24272
1592年にフランドルから移り住んだ、呉服商シャルル・ベリエによって建てられた、ルネッサンス様式の商館。17c末の2度の戦禍を逃れた唯一の建物。リッターとはドイツ語で騎士のこと。ファサード(正面外壁)は、段々になった破風をもつ、フランドル風の凝った造りで、様々な彫刻で飾られている。中でもこの館の名前の由来となった、最上部を飾る、聖ゲオルクの甲冑姿の像が目を引く。18c頃から騎士の館と呼ばれるようになった。現在1階はレストラン、2階から上は40室ほどの部屋数を持つホテルとして使われている。
<食事がフリーの場合、割と手軽な値段でセットメニューの手配ができる。>
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聖霊教会(ハイリッヒ・ガスト教会) Heiliggeistkirche
選帝候ルプレヒト3世の命によって15世紀に建てられたゴシック様式の教会。代々の選帝候の墓所となっていたが、王たちの墓は、オルレアン継承戦争の際にフランス兵によって破壊されてしまい、今は1410年に亡くなったルプレヒト1世とその妃エリザベートの簡素な墓だけしか残っていない。教会の周りをとりまくように小さな売店が並んでいるが、15世紀からここにあったもの。中世の頃は多くの教会にこのような店が見られたそうだが、今も残っているのは珍しい。教会内部への入口はツムリッターの前あたりにあるので、時間に余裕があるのなら覗いてみるのもよいだろう。(開 10:00-17:00、金、日曜は13:00より)現在はプロテスタントの教会で、
中に入ってすぐ右手のステンドグラスは広島の原爆が題材になっている。時折、土曜の夕刻などに、パイプオルガンなどの教会内コンサートが催されている。
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マルクト広場 Marktplatz
旧市街の中心にあたる広場で、毎週水曜と土曜の午前中には市が立ち、カラフルなパラソルを広げた露天では、野菜や果物、チーズや花などが売られる。広場の中央にある噴水はヘラクレスの噴水と呼ばれ、18世紀中頃まではこの場所に回転式の檻が置かれていた。中には軽犯罪を犯した罪人が見せしめのために入れられた。
市庁舎 Rathaus
広場に面して建つバロック様式の建物。中央の部分は18世紀初めに、戦禍から復興して最初に造られたもの。市庁舎からは毎日夕刻七時にチャイムが鳴る。
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- 学生酒場
学生達が集まり、ビールやワインを飲んで騒いだ、2つ学生酒場、"Zeppl"と"Roter
Ocksen"が並んでいる。手前のゼッペルは店内に学生達が町中で失敬してきた、ユーモラスな道路標識や医者の看板などが飾られている。隣のローターオクセンとは赤い牛という意味で、表には角の生えたかわいい赤牛の看板がぶら下がっている。
また、この辺りから夜のイルミネーションされたハイデルベルク城が、美しく見える。
今では観光客が訪れ、観光名所といった感もあるが、ハイデルベルクに宿泊するなら希望者を募り、出かけてみるのも一考である。個人で行くよりは少し大人数で行った方が楽しいところ。たまにハイデルベルク大学の卒業生が赤や青の大学の帽子をかぶり、集まっている。そんな時にはハイデルベルクの歌が聴けるかもしれない。ハイデルベルクの町中のレコードショップでそんな歌("アルト・ハイデルベルク"や"I
lost my heart in Heidelberg forever "など)のカセットテープが売られている>
カールテオドール橋
Karl Theodor Brucke
- ネッカー川にかかる最古の橋で、またの名をアルテ・ブリュッケ<古い橋>と呼ばれる。200年前までは屋根のある、木のはね橋が架けられていたが、オルレアン継承戦争で焼失したり、流氷に押し流されたりしたため、18c末に、選帝候カール・テオドールが現在の石の橋に造り替えたもの。橋にあるバロック風の城門は13cにこの場所にあった城壁の一部だった。左右の塔は暗くて低い牢獄が設けられ、その塔をつなぐ真ん中の部分には、18cに橋の建設と共に付け加えられた、明るい牢獄がある。窓から美しい町の風景が眺められるこの牢獄には、罪の軽い借金の支払い滞納者や負債者が入れられていた。城門のすぐ横には市民が1788年に立てたカールテオドールの像がある。像の台座にはヴィステルバッハ家の領地を流れる4つの川「ライン、ドナウ、ネッカー、モーゼル」をあらわす、4体の像が置かれている。
<この橋からお城をバックによい記念写真が撮れる。車の通行量が多いので、気を付けて!>
城門の西側の塔の横に、ブロンズ製の猿の像が置かれている。左手に鏡を持ち見物人の心を照らし出そうとしている。新しいもので歴史的な説明はないが、この下の穴に頭を入れて写真を撮るとユニークな写真が撮れるとか?
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哲学者の道 Philosophenweg 所要:ゆっくり歩いて約1時間
<ビスマルク広場からテオドール・ホイス橋を渡っていくのが、一番分かり易く、楽。橋を渡り、2つめの角を右に曲がる。急な坂を我慢して5分ほど進んでいくとなだらかな遊歩道にでる。ネッカー川、旧市街、お城のパノラマを眺めながら、平らな散歩道が続く。15分-20分位歩くと、右手に小さな下り口、シュランゲン小道があるので下っていこう。結構きつい下りで、雨が降った時とか、夕暮れ時などは足下が危ない。下ったところにカール・テオドール橋がある。逆ルートだとシュランゲン小道の登りがきつすぎる>
その昔ゲーテやヘーゲルなど、多くの哲学者や詩人達が歩き、思索にふけった散歩道。ヘーゲル(Hegel
1770-1831)は、「精神現象学」の著者として知られるが、40代半ばにハイデルベルク大学の教授となり、「エンチクロペディー」を書いている。ヘーゲルと同時代の(18c〜19c)の詩人ヘルダーリンは、この哲学者の道から、ハイデルベルクを称え歌っている。「ドイツで最も牧歌的で、美しい町はハイデルベルク」と。彼の詩碑が道の中腹に立てられている。20世紀を代表する実存主義の哲学者、ヤスパース(Karl
Jaspers 1883-1969)もまた、ハイデルベルク大学で学生生活を送り、文学部の教授となって人生の大半をここハイデルベルクで過ごしている。この道は京都の哲学の道のモデルとなった所でもある。
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