アウグスブルグ)


ネルトリンゲンからバスで約45分
ミュンヘンまでバスで約1.5時間、列車で30分
フュッセンまでバスで約2時間

アウグスブルクはローマ皇帝アウグストゥスの名前が町の名の由来となっているように、紀元前1cにローマ人によって造られた町である。紀元前15年、ローマ皇帝ティベリウスはこの辺りを軍事目的の植民地とし、スイスから北部イタリアにまたがる、ローマ帝国の属州、ラエティア州の州都と定めた。この地は古代ローマ時代から、ドイツとイタリアを結ぶ交通の要として、通商、軍用道路上の拠点となっていく。8c末には司教座が置かれ、ドイツ人の町として、教会を中心とした町づくりが始まった。(司教座が置かれる教会とは、一般の教会より格が上で、ドイツでは通常ドームとかミュンスターと呼ばれている。日本語では大聖堂と訳されることが多いが、小さくても司教座が置かれていれば大聖堂であり、建物がいくら大きくとも、それだけでは大聖堂とは呼べない。司教座の置かれている教会はイタリアではドゥオモ、イギリスではミュンスター、フランス、スペインではカテドラルと呼ばれる)

アウグスブルクは11c半ばに市場権と硬貨鋳造権を、12c初めには、都市の特許状を皇帝から与えられ、繁栄していく。商人が次第に力を付けていき、13cに都市の自治権は司教から市民へと移され、帝国自由都市の地位を獲得した。15c末から16cにかけては、バルヒェン織りの布地をイタリアや東方へと輸出して、町は栄えていった。そのバルヒェン織りで財を成したのが、フッガー家である。フッガー家はバルヒェン織りで得た財を有効に使い、金融業で皇帝やローマ教皇、大司教、貴族を相手に戦費や選挙資金を貸し、その借金の方に取ったヨーロッパ各地の鉱山、銅山、錫鉛の鉱山を開発して、巨額の富を築いていった。利益の大きい王侯への貸し付けは、危険な賭でもあった。フッガー家は後にスペイン王室に貸した巨額の金が回収不能となり没落してしまう。

そんなフッガー家や、同じくアウグスブルクの豪商であったウェルザー家などがヨーロッパ中で商いを行い、ヨーロッパの政局を左右するほどに力を持った15c〜17c頃が、アウグスブルクの全盛時代であった。

町は第2次世界大戦の戦禍を受け、新しいビルが建ち並ぶ大都会へと変わったが、そんな中に、当時の栄華を誇る歴史的建造物が残されている。1985年に生誕2000年を祝ったこの町はまた、世界史の上でもその名が出てくる。1530年ルターが帝国議会へ提出したアウグスブルク信仰告白、1555年のアウグスブルク宗教和議。また、モーツァルトも幼い頃滞在したことがあるというモーツァルトの父レオポルトの生家が残されていて、現在は博物館として公開されている。

姉妹都市:長浜市、尼崎市
ディーゼルモーターの発明者ルドルフ・ディーゼルが、この町のディーゼルモーター製造会社MAN社で世界最初のディーゼルモーター稼働に成功したことから、日本のディーゼルモーターの町である長浜市と尼崎市が姉妹都市契約を結んでいる。


  • 町中でトイレストップをする際は、市庁舎の前にバスを停車し、市庁舎前広場の有料トイレを利用するか、駅のトイレを利用する事になる。10〜15分ほどしか停まっていられないので、本当にトイレのみのストップとなってしまう。
  • 車窓にてマクシミリアン通りの建物を説明し、時間があればフッゲライで写真ストップすると良い

  • 市庁舎 Rathaus
    町の全盛期の1615年から20年、当時市の建築監督であったエルリッヒ・ホルによって建てられたドイツ・ルネッサンスの最高傑作と歌われた建物だったが、第2次世界大戦で破壊され、現在の建物は当時の建物を忠実に再建したものである。正面の切り妻屋根の最上部には昔から市の紋章とされてきた、青銅製の松かさが置かれている。これは豊かさを表現するものである。その下に、帝国自由都市の象徴である双頭の鷲が、金地に黒のモザイク画で描かれている。隣接して立つ塔は高さ78mのペルラッハ塔で有料だが上に登ることができる。
    市庁舎の前には広場があり、町の名の由来となったアウグストゥス皇帝の噴水がある。建都1600年の祝祭にあたり造られたもので、皇帝の像を市の水力を象徴とする4本の川を表す像が取り囲んでいる。広場は夏には写真のようにカフェテラスが設けられている。
    <トイレは市庁舎を背にして左手の建物のインフォメーションセンターの下で、係りの人がいておつりもくれる有料トイレ>

    マクシミリアン通り Maximilianstrasse
    メルキュールの噴水あたりから南へ500mほど続く目抜き通りで、ローマ帝国時代の通商、軍事路だったVIA Claudiaが通っていた道にあたる。ハプスブルク家の神聖ローマ帝国皇帝、マクシミリアン1世が通りの名前となっている。皇帝はフッガー家のヤコプ2世から戦費を調達し戦い、後にその功績をたたえヤコプ2世に伯爵の称号を送った。今では高級品店が建ち並ぶオシャレな通りであるが、歴史的建造物が数多く残されている。

    フッガー邸 Fuggerpalast 
    1515年にヤコプ2世が建てたフッガー家の屋敷跡。第2次世界大戦で戦禍をこうむったが戦後当時の姿に再建された。今はフッガー銀行の建物となっていて中には入れないが、銀行の隣の大きな扉を入っていくと"ダーメンホフ" と呼ばれる中庭に通じ、装飾が施された柱に囲まれた当時のままの小さな庭を見学することが出来る。

    シェッツラー宮殿 Schaezlerpalais
    マクシミリアン通りのシンボルといわれる16cに作られたヘラクレスの噴水の前に建つ館。シュツラー家出身の銀行家ベネディクト・アダム・リーベルトの店と住居を兼ねて作られた建物で、1770年に開かれたこの建物の祝宴の間落成記念舞踏会には、フランスのルイ16世のもとへ嫁ぐため、ウィーンからパリへ向かう途中のマリーアントワネットが主賓として招かれている。ベネディクト・アダム・リーベルトは17c〜18cに金・銀・宝石の取引で財を成し、女帝マリアテレジアの財政危機を度々救ったために貴族の称号を授けられたほどの大富豪である。もともと貴族の館のあったところで、16c初めには皇帝マクシミリアン1世も滞在したことがある。現在は市の持ち物として、バロック絵画の展示と当時のまま残る祝宴の間が公開されている。夏にはこの広間で度々この町を訪れ、町とゆかりの深いモーツァルトのコンサートが催されている。

    マクシミリアン博物館 Maximilianmuseum
    アウグスブルクの美術工芸品を展示する博物館。町のフッガー家と並ぶ大富豪であった、ヴェルザー家の屋敷の跡を利用している。

    聖アンナ教会 St. Anna Kirche
    14・5cにカルメル修道会の教会として建てられた建物で、1518年マルティン・ルターが彼の教えに共鳴するカルメル会の修道士達によってかくまわれていた。

    大聖堂大聖堂 Dom (聖母マリア大聖堂)
    9c〜11cにかけて建てられたロマネスク様式の部分と14cに改築されたゴシック様式の部分を併せもつ建物で、各時代の興味深い美術作品が残されている。南側面の入口には11cに造られたロマネスク様式の青銅の扉があり、32面に渡る旧約聖書の場面のレリーフが施されている。堂内のステンドグラスは世界最古(1135年頃)のものと言われ、旧約聖書の予言者達を描いている。そして聖堂が捧げられている聖母マリアの生涯を描いた祭壇画は、この町出身でドイツルネッサンスの巨匠と言われている、ハンス・ホルバインの作品。
    開:4月〜10月 18:00まで(11〜3月は日没まで)
    日曜午前の礼拝中は見学不可

    大聖堂南側の広場のはずれには野外博物館があり、大聖堂改築工事の時に発掘されたものを展示している。


    フッゲライ Fuggerei
    ヤーコプ・フッガーによって作られた世界最初の社会福祉住宅で、今もなお167世帯が暮らしているアパートである。長屋風の2階建てのアパートは、1階と2階は別づくりとなっていて、敷地内には小庭園、小広場、噴水、教会などが造られている。家賃は1519年の開設当時から変わらず年間1.72DMのまま。入居資格も同じで、アウグスブルク生まれで、生活に困っている、品行方正なカトリック信者に限られている。
    1部屋が、博物館として公開されている。
    開:9:00〜18:00 11〜3月は週末のみ開館
     料金1DM