
( ディンケルスビュール)
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ローテンブルクから約45分|ネルトリンゲンまで30分
アウグスブルクまで1時間15分|フュッセンまで約3時間
ミュンヘンまで約3時間
<アウグスブルクからアウトバーンを走った場合> |
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ディンケルスビュールは古来ドイツの東西と南北を結んでいた2つの重要な交易路の交わった所に10c頃生まれた市場町である。南ドイツの穀倉地帯の中央に位置し、農作物の集積地として、また交易都市として発展していく。1270年帝国自由都市となる。この町は第2次世界大戦の爆撃も受けず、中世の頃の町並みがそのまま残っていることから、中世の生きた博物館といわれる。
市壁内にはバスが入れないので、町中へは P(パーキング) から徒歩で往復するか、ドライバーによっては、ローテンブルク門で降り、バスを
パーキング に回送してもらう(この方が少し時間の節約になる)。パーキング への道順はわかりにくいので、教会前などで集合し、一緒にバスへ戻るのがよい。町の中心で教会や建物の説明を行い、少しフリータイムを取り正味30分程、教会から
パーキング までの往復が20分程かかるので、全部あわせて50分〜1時間程必要。
トイレは町中に1カ所と、パーキング に1カ所。どちらも無料の公衆トイレだが、数が少ないので、人数が多いと時間がかかる
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地図ではローテンブルク門からのルートを組んだので参考にしてほしい。
<ローテンブルク門より矢印のように聖ゲオルク教会まで歩いていく>
地図1
町を取り囲む市壁には4つの大きな塔が残されている。この塔はローテンブルク方面へと通じる道に向かって建てられている、セティシガーの塔。城門は1390年頃にできたものだが、塔は16cのもので、内部は昔牢獄として使われていた。塔には3本の麦の穂をあしらった町の紋章と帝国自由都市を表すワシの紋章が付いている。橋を渡り、ガウル池を越えて市壁の中に入っていこう。
地図2 この建物は昔病院として使われていたシュピタール。今は歴史博物館となっている。ローテンブルクと同様中世の頃大きな都市にはこのような社会福祉施設が整っていた。この場所はかつては市壁の外にあったところだが、町の発展と共に市壁が拡張され市壁内部に組み込まれている。中世の頃には門が日没と共に閉められると、旅人はおろか、住んでいる人でさえ、町の中には入れなかった。そんなときにはこのシュピタールが簡易宿泊所にもなったわけだ。
地図3 <聖ゲオルク教会入口の前で説明しよう>
■聖ゲオルク教会 St.Georgkirche
町の中心で開かれる市に集まってくる人たちのために作られた小さな礼拝堂がその前身だといわれる。現在の教会は1448年に工事が始められ、20年ほどで外観部ができ、1492年に着工したアーチも7年で完成。建物の各部分が比較的迅速に一気に建てられたため、ゴシック建築の全体としての統一がよく保たれている。(当時の教会は何百年という歳月をかけた継ぎ足し建築が多い)このことからもこの時代に町がいかに裕福だったかをうかがいしれる。教会内部はゴシックの特徴を生かし、天井が高く、側廊の天井がそのまま身廊の天井に続くため、広く明るい造りとなっている。中央祭壇の上部にはこの教会の守護聖人である、聖ゲオルクの浮き彫りが置かれている。聖ゲオルクは大地を荒らし凶作をもたらす竜を退治したとして、中世の頃農民の間で最も人気の高かった聖人である。教会の塔には16cになって屋上に八角堂が付け足された。昔はこの中に夜警が住み、塔の上から火事などの見張りをしていた。今でも祭りの時に、当時のいでたちをした夜警が登場する。
<教会の横に建つ銀行の赤い壁にひざまづく子供達の絵が描かれている。この絵自体は有名な絵ではないが、キンダーツェヒェの由来を説明するのに分かり易い>
■キンダーツェッヒェ Kinderzeche
30年戦争中の1632年、カトリック側だったディンケルスビュールの町は、プロテスタント側のスウェーデン軍に包囲され、陥落寸前に陥った。その知らせを聞いた町の子供達は夜警の娘ローレンに率いられ、一段となってスウェーデン軍の将軍の前に跪き、町を助けて下さいと頼んだ。将軍は子供達の中に、故郷に残してきたわが子とそっくりな子供を見つけ、町の略奪をあきらめたという言い伝えが残されている。町を救ってくれた子供達に感謝を込めて、1887年から毎年7月の中旬(第3月曜日を中心とする)に10日間ほどキンダーツェッヒェという祭りが催される。ツェッヒェ(zeche)
というのは飲み屋の勘定のことを意味する。大人の飲み代の付け、つまり戦争の付けを子供達が支払った。
祭りでは、市壁の外で当時のスウェーデン軍の野営を再現し、言い伝えに基づく歴史を再現する劇と、当時の衣装を身につけた子供達のパレードが行われる。100人を越える町の幼稚園児が総出演して、ロココ風のカツラをかぶった、ディンケルスビュールの旗の色と同じ赤と白の昔のバイエルンの軍服を着た少年音楽隊の後を練り歩く。見物人は花やお菓子を子供達にプレゼントして、町を救ってくれたお礼をするというもの。
この祭りはドイツの中でも有名なもので、この祭りがあるためにディンケルスビュールは子供達の町と呼ばれている。少年音楽隊はミュンヘンオリンピックの開会式で演奏したり、世界各地で演奏会を催し、ディンケルスビュールの名を広めることに一躍かっている。メンバーの中には少年とは呼べないような年輩の人も含まれているが。
地図4 教会の横には、神父とその足下で話を聞いている二人の子供の像がある。これはこの町出身の19cの神学者で、児童文学者だった、クリスト・フォン・シュミート神父の像。子供が大好きで、子供達のために「復活祭の卵」や「子供のための聖書」を残し、ドイツ人なら誰でも知っているクリスマスの歌「Ihr
Kinderlein Kommet--イア キンダーライン コメット」の作詞者である。
■ドイッチェスハウス Deutsches
Haus
教会の前には5つの美しい建物が建ち並んでいる。中でも有名なのは1600年頃に建てられた、左から3番目のドイッチェスハウス。南ドイツルネッサンス期を代表する美しい木骨組の家で、現在はホテル・レストランとして利用されている。木骨組の家はファッハヴェルクハウスと呼ばれ、各階ごとに独立した箱のようになっている構造物を積み上げて、それをかすがいで固定して作られている。地震の多い日本では考えられないが、柱は各階ごとにとぎれていて、上に行くほど外にせりだしている。木骨と木骨の間にはレンガや小さな切石、木の枝の束などが、ぎっしりと詰められ、その上から漆喰で固め、壁が建物の重要な支えとなっている。柱と梁が建物の支えである日本建築とは根本的に違う造りである。正面壁面には木部に彫刻や彩色が施され、また木骨そのものの組み合わせが美しい幾何学模様を描き出し、壁面を飾っている。
向かって一番左の、鐘楼と時計塔がのっている赤っぽい壁に白い窓という建物は、16cに再建された市参事宴会場の建物で現在はインフォメーションや図書館として利用されている。ここは当時、市の迎賓館も兼ねていたためスウェーデン王グスタフ・アドルフや、神聖ローマ帝国皇帝カール5世なども宿泊している。
ドイッチェスハウスの一軒おいて右隣の黄色い建物は、1600年頃にできたシュランネ、つまり穀物倉庫だったところで、現在は町の祝祭ホールとして利用されている。町にはこの他に2つのシュランネがあり、この事からも当時の町の裕福だった様子が伺える
■ワインマルクト Weinmarkt
地図5 教会の前の道路が交差して広くなっているところが、町の中心マルクト広場。広場というより道がずれた交差点といった感じだが、町の祭りはここを中心に繰り広げられる。マルクト広場と接して、ドイッチェスハウスと教会に挟まれた道の広くなっている地図6の辺りがワインマルクトで、当時ワインの取引が行われた場所。この町の当時の重要な産業はワイン造りと織物業だった。
パーキングへは地図7の所にあるカフェの横の道を入り、道なりに進み、城壁を越えて外にでる。橋を渡ると右手の方にバスが見える。夏場はカフェの白い柵で囲まれたテラスに椅子やテーブルが並んでいる。
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