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(シュヴァンガウ)
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アウグスブルクから約2時間
ミュンヘンから約2時間 |
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事前に気を付けよう!
山間の村なので天気が急に崩れることがある。天候によっては雨具を手荷物で用意してもらう
山道、城内と歩く所が多いので歩きやすい靴で、又冬場は積雪が予想されるので滑らない靴で。
冬場の観光は大変寒いので、防寒の用意をしてもらう。
10:00〜15:00頃までが大変混みあう。城の観光は朝一番のミニバスにあわせてか、午後遅めがよい。城の開閉時間とミニバスの運行時間を事前に現地で確認しておこう。
特にミュンヘンから出発する場合、夏場はどのグループも先を争って出発する。城での待ち時間を少なくするために、朝の出発はなるべく早い方がよい。忙しいツアーほど出発時間に注意しよう。早朝の朝食時間はホテルによって違うため、前日早めに確認しておこう。
城内は撮影禁止<窓から外を写すのはよい>、禁煙、事物に触れない。
当日ミニバス代を現金で払うことになるので、ドイツマルクを用意しておこう。DM3.5
x 人数
いつも混雑しているので、多少並ぶことになる旨、お客様に事前に伝えておこう。TCはいかにスムースに城の観光を終えられるかに、一番神経を使うことになる。とは言えこの観光はツアーの目玉となっているので、あまりあわただしい印象を与えないようにしよう
観光の後、買い物や写真を撮る為の時間をとる。時間が十分とれる場合には、アルプ湖やホーエンシュヴァンガウ城へも希望者が各自で行けるよう案内しておこう。どれだけフリータイムがとれるかは城の混み具合によって違ってくる。混んでいる時は2.3時間並ぶこともある
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- バス降車
バスは長く停められないので、前もってバスを降りる準備をしておいて貰う。
- ホテルでトイレを済ませて貰う。
(トイレはホテルミューラー=中央入口を入り階段を下りた所。ホテルリスル=入口を入り真っ直ぐ)
チケットはエージェントによって入場券が渡される場合と、城でバウチャーを入場券と交換する場合がある
- ミニバス乗り場に並ぶ
お客様にはトイレの後すぐにミニバス乗り場に並んで貰おう。写真を撮りたがるが、グループがどんどん到着するので少しでも早くミニバス乗り場に並ぶことが賢明。(城の観光の後各自で下山して貰う場合は、集合場所を案内しておこう)
- ミニバス乗車
ミニバスチケットは乗り場のボックスでTCがまとめて購入し、バスに乗車の際運転手に渡す。同じバスに全員が乗れるようにするのが一番だが、2台に別れる場合はバスを降りた所で待っていて貰う。10分程で山の中腹の停車場に着く
*冬場などミニバスが運行していない時は馬車を利用するか歩きとなる。馬車はホテルミューラーの前から出るが、台数が少ないので大人数の場合は歩ける人は徒歩にて馬車の道を登って貰おう
- ミニバスを降りて右手前方の坂を2〜3分登り、マリエン橋へ。(マリーとはルードヴィッヒ2世のお母さんの名前)
城の全景の写真を撮ったら再びミニバスを降りた地点に戻り、城への坂を下っていく
- しばらく行くと左手にホーエンシュヴァンガウがよく見える少し開けた場所がある。時間が許せば写真を撮ろう。
しばらく行くと二又に出るので右手に進む。上り坂になり城の下に到着
- バウチャーをチケットと交換する場合はこの二又の道にあるチケットオフィスで交換(現地で確認して下さい)
- 各自で下山して貰う場合には降りる道を案内しておこう。下山は道なりに下っていく。途中右手に馬車停車場があるので、馬車が停まっているようなら乗ってもらうのもいい思い出になるだろう(料金は登りの半額、DM3.5)馬車の道を下って行けば、ミニバス乗り場、ホテルの所へとたどり着く。(10分〜15分程)
<アム・パークで昼食の場合、下山途中の道を右手に降りていくと、ホテルの前に出れて近いが、降り口が解りにくいので、グループ一緒に下山する。(道が悪いので、雪が残る時期は避けた方がよい)>
- 最後の坂を上り正門をくぐり、中庭へと入る。
螺旋階段を登ると城内入口への廊下にでる。ドイツ語と英語の2列に別れている。どちらでも良いのでお客様に並んでいただき、ここで各自に入場券を配る。一人一人に持ってもらい、入場の際係員に手渡す
TCは入口の係員に早めに人数を伝えておくと良いだろう。(30〜40人位から日本語テープをかけながら城内を案内してくれ、いくつかのグループをまとめて入場させることが多いため)
- 城内の見学は30分ほど。見学終了後、城の案内役に10マルク程のチップを渡すことが習慣になっている。
最後の台所の見学を終えて、出口に向かうがTCは先頭に立ち、適当な場所でお客様を集め、集合時間と集合場所を伝えよう
■ノイシュヴァンシュタイン城 <新白鳥城>
Neuschvanstein
・間違ってもノイシュヴァインシュタインと言わないように!
シュヴァインは豚のこと。白鳥と豚では大いに違う
ロマンティック街道を南下してくると、この城が中世の頃の城と思えてしまうが実際建てられたのは明治初期、今から110年ほど前のことである。城内部の観光で最後に台所を見学するが、水道、グリル、オーブンなどモダンな作りにその事を改めて感じさせられるだろう。
城は1869年にルードヴィッヒ2世の構想により建て始められた。王は当時まだ22才という若さだった。着工して17年目の1886年、王の突然の死によって工事は中断され、城は未完成のまま現在に至っている。王はこの城に亡くなる前のわずか170日しか滞在していない。
ルードヴィッヒ2世はワーグナーを崇拝し、その歌劇にでてくる中世の騎士へ憧れる。この城は作曲家ワーグナーへ捧げるために造られたものでもある。城内を観光すると至る所にワーグナーの作品を題材とした彫刻や壁画が飾られている。別名「ワーグナー音楽の殿堂」とも呼ばれるが、ワーグナーはこの城に来たことはなく、王の死の3年前に亡くなっている。現在毎年9月にワーグナー音楽のコンサートが城内にて行われている。
絶壁にそびえ建つ城の工事は、建設機械があまりなかった当時、殆ど馬車や人力によって行われるという難工事であったが、城の建てられる岩山の調査や、岩石の硬度の測定などには当時の最新技術が使われた。建設費用は当時のお金で約620万マルクかかったといわれる。当時の1マルクは現在の4.000円位に相当するので、ざっと計算しても200億以上のお金がかかっているわけだ。王はこの城の他に2つの城の建設を行い、すべての城の建設費用を合計すると、3100万マルクを超えるという。実に数千億円という金額である。更に王はもっと壮大な城を築く計画をたてていた。王室の財政を傾けるほどの莫大な工事費は、王の命取りともなったわけだが、王の死後2カ月もたたないうちにこの城は一般に公開され、最初の半年で1万8000人もの入場があったという。それ以来、城の人気は衰えを知らず、現在年間100万人を越える観光客が世界中から城を訪れている。それらの観光収入を計算すれば、もう十分もとは取れたのではないだろうか。
城の基本設計にあたったのは建築家ではなく、宮廷劇場の舞台装置家だった為、城内部は特に芝居の舞台を思わせる様な作りである。この城はあくまでもルードヴィッヒ2世という一人の王が作り出した夢の城であり、建築的に高い評価を得られないとしても、そんなことは問題ではないのである。また外観はディズニーランドのシンデレラ城を造る際、参考にされたといわれている。
●城内の見学 <係りの人に従って各部屋をまわり、テープの案内を聞く。所要30分程>
ホール・・・・・ここで城の観光の概要と見学する際の注意点などの説明テープを聞く
↓ 撮影禁止(窓から外を写すのは構わない)、禁煙、事物に手を触れない
召使いの部屋・・質素な部屋がいくつか続く
↓ 螺旋階段
玄関ホール・・・壁画はワーグナーの楽劇「ニーベルンゲンの指輪」の中の「ジークフリート伝説」を題材に描かれている
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玉座の間・・・・テープの案内
城の西側全体の4階と5階を吹き抜けにしてビザンチン様式で造られた謁見用の部屋である。教会の後陣のような半円形の丸天井には天使に囲まれたキリスト、聖母マリア、聖ヨハネが描かれその下には金と象牙で造られた玉座が置かれるはずであった。そこへ続く階段はイタリア、カラーラ産の白大理石で造られている。反対側の壁面には「ドラゴンと戦う聖ゲオルク」の絵が描かれ、その中に王が建築を予定していた第4の城、ファルケンシュタイン城が見られる。
床は約200万個の細かい石で細工されたモザイク画が敷き詰められている。天井には重さ900キロという金メッキの真鍮でできたシャンデリアがぶら下がっている。96本のろうそくがたてられており、掃除をしたりろうそくを交換するためにウィンチで上げ下げできるようになっている。
玉座の間のバルコニーからは森に囲まれた2つの湖、左手にアルプゼー、右手に少し小さめのシュヴァンゼーが見える
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王の食堂・・・・この城は台所が食堂よりも3階も下にあるため、リンダーホーフ城やヘレンキムゼー城に見られるような「魔法の食卓」はない。料理は料理用エレベーターで引き上げられた。壁を飾る絵画は「ワルトマルクでの歌合戦」を描いたもの
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王の寝室・・・・テープの案内
寝室の壁画はワーグナーの楽曲「トリスタンとイゾルデ」をモチーフにしたもの。王のベッドの天蓋は樫の木で造られ、見事な新ゴシック様式の彫刻が施されている。家具や天井を含め、この部屋だけで14人の木彫り職人が4年半の歳月をかけて造っている。ベッドカバーやカーテン、椅子のクッションなどは王が最も好んだバイエルン王家の色、青で統一されている。
洗面台には白鳥を型どった蛇口を持つ水道が付けられている。水は城の200m程上の山間に貯水池を作り、自然の水圧を利用して全館に補給されている。洗面器の方は傾けると中の水が流せる作りとなっている。
部屋の右奥には新ゴシック様式の王の礼拝堂が造られている。
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更衣室・・・・・壁面には中世の吟遊詩人「ミンネゼンガーの生涯」と「ニュールンベルクのマイスタージンガー」が描かれ、天井には森のあずまやにいるような錯覚を起こさせる青空が描かれている。小さなテーブルの上には素敵な絵で飾られた王の宝石箱が置かれている。
次の王の居間に入る扉の取っ手には白鳥が型どられており、191cmという王の長身を証明するかのようにとても高い位置に付けられている。
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居間・・・・・・テープの案内
壁画はワーグナーの楽曲にもある「ローエングリーン」。大きな本棚の扉には「トリスタンとイゾルデ」や「ジークフリートの伝説」からとった絵が描かれている。ストーブの上にはニュンフェンブルクのマジョリカ焼きの大きな白鳥の花瓶が置かれており、天井からつるされたシャンデリアは金メッキの真鍮で、着色されたボヘミアガラスが埋め込まれている。
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ヴィーナスの洞窟・・人工の鍾乳洞。「タンホイザー」の中にでてくる「ヴィーナスの洞窟」をモチーフとしている。小さな滝と池を設け、電灯と回転する色ガラスを使い幻想的な照明をする予定だったが未完に終わった。扉にも細工が施されており、両方の扉を閉めると洞窟の中にいる様な錯覚をおこす
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王の書斎・・・・テープの案内
「タンホイザー」をモチーフとした絵画。カーテンや椅子のカバーには緑の絹地に金銀のバイエルンの菱形模様の紋章が刺繍されている。隣接する控え室は、王の副官が使用した部屋で、電気仕掛けの呼び出し装置が取り付けられている。
↓ 螺旋階段
歌人の広間・・・テープの案内
歌人の間は吟遊詩人を招いて歌会を催すところで、床も天井も音の響きを考慮に入れ木材で造られている。屈折した格間天井にはドイツのウヒ材が使われすばらしい音響効果をもたらす。寄せ木細工の床も見事なできである。壁面にはワーグナーの楽曲「パジファル」をモチーフとした絵が描かれている。舞台の絵はこの城の設計にあたった宮廷劇場の舞台装置家、クリスティアン・ヤンクの作品である。この広間は王の生前には一度も使われなかったが、1939年ワーグナーの没後50年を記念してコンサートが催され1939年まで続けられた。1969年からコンサートは再開され、毎年9月にワーグナーの曲が演奏される。その折には600本以上のろうそくに火が灯され、広間を照らし出す。
↓ 螺旋階段(下り)
台所・・・・・・テープの案内
当時の最新設備を誇る、近代的な台所である。中央の大きなオーブンからでる煙は床下を通り、地下から出される。水道からは水とお湯の両方がでるようになっていたり、レオナルド・ダ・ヴィンチ考案と言われる蒸気を使った自動回転串焼きグリルや、余熱を利用した食器保温器などがある。出口の右手には魚専用のシンクがあり、こんな所にも白鳥を型どった蛇口が取り付けられている。
見学はここで終了するが、台所を出たところには料理長が献立を作る部屋がある。順路に沿って左手に進むと大きな暖房用のボイラーがあり、100年以上も前に建てられた城なのに、熱風が上階の各部屋に流れるというセントラルヒーティングが用いられていた。このボイラーにくべる為の膨大な量の薪を運ぶ専用の貨物リフトまで備え付けられていたというのだから驚きである。
■ホーエンシュヴァンガウ <高貴な白鳥城>
Hohenschvanngau
ホテルミューラー、カフェの横の道を入り階段を登って行く、歩いて5分程
内部はガイド付きのツアーで見学でき、現在14の部屋が公開されている
ノイシュヴァンシュタイン城ほど混んでいないので、待たずに入れるかも
ルードヴィッヒ2世の父、マクシミリアン2世によって夏の離宮として建てられた城で、皇太子であったルードヴィッヒ2世はここで成長した。
12c頃からこの場所にはシュヴァンガウの騎士の城が建っていたが、騎士の一族が滅亡し16c末には住む者もなく荒れ果ててしまった。18c初めのナポレオンの侵略戦争の際に破壊され、廃墟同然となっていたものを当時皇太子であったマクシミリアン2世が買い上げて4年間を費やし築城した。
マクシミリアン2世は、中世の騎士道に憧れ、城内には騎士伝説の英雄達の壁画が描かれている。ルードヴィッヒ2世は幼い頃からこの場所で、中世の騎士達に囲まれて成長したのである。また、この城がもともとシュヴァンガウの騎士の城であったことと、バイエルン王家の紋章が白鳥であったために城のあちこちに白鳥の像がある。
●城内の見学 <所要約35分>
英雄の間・・祝宴広間。壁にはヴィルキーナー伝説の場面が描かれている。テーブルの上には金メッキされたブロンズ製のテーブル飾りが置かれている。イタリアのカラーラ産大理石に彫られた胸像はルードヴィッヒ2世のもので1869年に王自らがモデルとなりアメリカ人の彫刻家、エリザベス・ネイによって作られた。
女王の寝室・・・・マクシミリアン2世は皇太子時代にトルコを訪れ、帰国後トルコ風の部屋を造り、トルコのサルタンから贈られたソファーを置いた。壁には東方旅行の際に皇太子が立ち寄った様々な場所が描かれている。
城主の奥方の間・・女王の居間兼謁見の間
壁画は中世における城主の奥方の典型的な暮らしぶりを表す、キャンパス地に描かれた油絵である。部屋につるされたシャンデリアは銀製の白鳥が型どられている。暖炉の上の2つの胸像は幼い頃のルードヴィッヒ2世と彼の弟オットーで、その間に置かれているのは彼らの母、女王マリーの写真である。水色のストーブの横にはマクシミリアン2世の弟で、ギリシャの最初の王となったオットー1世の胸像が置かれている。
礼拝堂・・・・・・新ゴシック様式の礼拝堂で、日曜、祭日には今でもミサが行われる
白鳥の騎士の間・・「白鳥の騎士ローエングリーン」の伝説の一場面を表す壁画が描かれている。ワーグナーのオペラができるより前に描かれた伝説の一場面である。
ホーエンシュタウフェンの間・・王の化粧室兼音楽室
この部屋の壁画はホーエンシュタウフェン家に捧げられている。12cの頃にここに建っていた城の持ち主はホーエンシュタウフェン家に仕えていたシュヴァンガウの騎士であった。また、12cにヴィステルバッハ伯爵がシュタウフェン家の皇帝、フリードリッヒ1世(バルバロッサ)の命を助け、バイエルン最初のヴィステルバッハ公爵に任命されている。
この部屋に置かれているピアノでは、ルードヴィッヒ2世が演奏し、彼に呼ばれてこの城を訪れたワーグナーが演奏している。
タッソーの間・・王の寝室。イタリアの詩人トルクアート・タッソーの作品をモチーフに壁画が描かれている。
1871年、ルードヴィッヒ2世はこのベッドに横たわり熱からくる歯の痛みに耐えていた。そこにビスマルクの使者が「皇帝の手紙」を持ってやってくる。長時間に及ぶ交渉の末、病気の王は署名をし、ヴィルヘルム1世がドイツ皇帝に選ばれることに賛成したのであった。
アウターリーの間・・バイエルンの伝説、ランゴバルト族のアウターリー王にまつわる話をモチーフにした絵が描かれている。ワーグナーが城に滞在したときに泊まった部屋である。
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