(古城街道)


古城街道はネッカー川がライン河にそそぎ込む、マンハイムから始まる。ハイデルベルクを通り、ネッカー渓谷をさかのぼり、ハイルブロンで方向を転じ、ローテンブルクでロマンティック街道と交差したのち、東へ進み、画家デューラーの町、ニュールンベルクまでの約300キロの道に1954年、観光促進を目的として古城街道という名がつけられた。街道は1994年東欧の壁が壊されさらに東へと延長され、現在はチェコのプラハまで続く1.000キロに近い道程となった。この街道は中世の頃から旅人の往来で賑わっていた。街道沿いにはネッカー川を通行する船から通行税を取るための城。また盗賊が船から物資を巻き上げる為に建てた城や、中世騎士の城、軍事目的で築かれた要塞など数多くの城が残されている。城と一言に言っても、一地主が暮らした小さな館から、王侯貴族などの権力者の城館まで、様々である。ドイツ国内には2.000とも2万とも言われる古城が残されている。ずいぶん数が違ってくるが、廃墟の城を数えるか、個人の館のような小さなものを数えるかによって違ってくるのである。12、13世紀頃ドイツでは築城ブームが起こり、そのころに神聖ローマ帝国を支配していたシュタウフェン家がこの辺りのシュバーベン地方の出身であったためかこの辺りには特に城が多く建てられている。その殆どが、度重なる戦禍を受けて築かれては壊され、焼かれては修復されといった運命をたどって現在に至っている。



私たちは古城街道のハイライトともいえる、ハイデルベルクからネッカー河畔の小さな町、ネッカースウルム(Neckarsulm) までのネッカー渓谷をラインの娘ネッカー川の優しい流れに沿って走る。このあたりはオーデンヴァルトと呼ばれるブナの木の多い森になっている。車窓から川と森と古城の美しい風景を眺めながら、中世の頃に思いをはせていこう。途中何カ所か写真ストップをしながら、ローテンブルクまで2時間40分ほどで到着。

ハイデルベルク〜ネッカースウルムまで

  • <カール門>
    ハイデルベルクのバス駐車場を出てすぐの所、右手に見える石の門。
    ハイデルベルク旧市街の東の端にあたり、ここから新市街との境目にある広場、ビスマルク広場までハウプトストラーセがまっすぐ東西に町を貫いている。お城にあるワインの大樽や古い橋を造った選帝候、カールテオドールの為に、市民が建てた記念の門で1781年に完成している。地下と2階部分を牢獄に使ったため、壁には鉄の足かせが取り付けられ、窓には鉄格子がはめられている。
  • <水門>
    カール門を越えてすぐの所にある。高低のある川の航行のために水門を開閉して、舟を昇降させる為の設備。このような水門がネッカー川だけでも20ほどあるという。水門から水を抜くときの水力を利用して、発電も行われている。
  • 道の所々にBurgenStrasse とドイツ語で書かれている道路標識が立っている。各町に入る所に町の名前が書かれている。その町が終わるところに町の名前が赤い斜線で消されている標識を見ることができる。あわせて、次の町の名前とそこまでの距離が書かれている標識があるので、注意して見ていこう。
  • 道幅も狭くバスを止めて写真が撮れる場所は1、2カ所、小さな町の中に城があるので、気を付けていないとすぐに通り過ぎてしまう


  • -->10Km
    1.ネッカーゲミュンド <Neckargemund> ネッカー川の宝石(人口14.000人)
    エルセンス川がネッカー川に流れ込む河口にできた町で、文書に初めてでてくるのが988年という古い歴史を持つ。13世紀には帝国自由都市として繁栄し、町中には古きよき時代の面影が残っている。ハイデルベルクの町と同様17世紀にフランス軍の攻撃を受け、破壊の憂き目を見たが、町の中には16、7世紀に建てられたギルド職人の家や、古い城壁の一部が残されている。バスからは見ることができないが、町から山の方へ脇道を5キロ程登った所に、ディルスベルクの要塞が残されている。30年戦争の時に皇帝軍側の将軍ティリーに攻められたが、さすがに勇名をはせたティリーも落とせなかったという。

    橋を渡り、ネッカー川の右岸を走っていく。ハイデルベルクから向かうと、ネッカー川が右手に見える。
    -->4Km

    2.ネッカーシュタイナッハ <Neckarsteinach> 盗賊騎士の城(人口3.900人)
    町を取り囲むオーデンヴァルトの山の中腹に城跡が2つ。さらに並んで2つの城があり、通称「4つの古城の町」と呼ばれる。ハイデルベルク側から見て最初の城が、シュバルベンネスト(Schwalben nest)-ツバメの巣城(1200年頃)と呼ばれる、シャデック城(Schadeck)。この城の後に、前の城(Vorderbrug)、中の城(Mittelbrug)、後の城(Hinterburg)と3つ続く。とりわけ、「ツバメの巣」城が名高く、この城のあるじ、盗賊騎士シュタイナッハのブリッガーは、ネッカー川を通る舟や旅人を襲ったり、狼藉を働いたという。そのためブリッガーは「国荒らし」という異名で呼ばれたが、十字軍遠征時代、皇帝によってその大胆不敵な行動が称えられ、そのお墓はシュタイナッハのプロテスタントの教会に置かれている。
    4つ目の城を通り過ぎ、後ろを振り返ってみると、4つの古城が一望のもとに見える。特に秋口の紅葉の季節には、燃えるようなツタの葉が、城を引き立たせ大変美しい。<道幅が狭いので、バスを止めることはできない>

    -->8Km
    3.ヒルッシュホルン <Hirschhorn> 悲劇の騎士(人口4.100人)
    ネッカー川はここで大きくカーブする。新道ができた為、気を付けていないとあっと言う間に通り過ぎてしまう。
    城壁に囲まれた中世の雰囲気の濃い町で、ネッカーの谷の真珠と言われている。ヒルッシュホルンは鹿の角の意味。
    町を見おろす山上に白くたたずんでいるのは、運命の一族ヒルッシュホルン家の居城。城の下には16世紀初期に造られた、カルメル修道会が見える。城の中心部は古く、ドイツ騎士道の最盛期である、12世紀にはすでに建てられていた。居館は14世紀のゴシックと16世紀に増築されたルネッサンス様式が混合している。
    ヒルッシュホルン家はこの町のあるじだった裕福な一族で、ネッカー河畔の各所で勢力を誇っていたが、呪われた一族でもある。一族の最後の騎士フリードリッヒが若い頃、ハンシュースハイムのハンスという騎士を決闘で殺してしまったため、ハンスの母親に呪われ、フリードリッヒのたくさんの子供達は皆幼くして死んでしまった。その中でたった一人成人した息子がいたが、その息子もハイデルベルク城で殺されてしまい、一族の血筋は絶えたという悲劇が語り伝えられている。
    ヒルッシュホルンの城は現在古城ホテルとして利用されている。
    対岸には14世紀に建てられたゴシック様式のエルスハイマー礼拝堂がある。
    <川沿いのパーキング(教会の手前の所)で写真ストップできる>

    -->11Km
    4.エーバーバッハ <Eberbach> シュタウフェン朝時代からの鉱泉の町(人口15.000人)
    町の名は「イノシシの川」という意味で、道路から(町に入ってすぐ左手の公園)、4頭の小さなイノシシの像が見える。漫画「エロイカより愛を込めて」の主人公「鉄のクラウス」ことエーベルバッハ少佐と同名で、作者の青地保子氏も訪れているため、はるばるこの地を訪れる熱心なファンもいるという。
    11、12世紀頃からすでにこの場所に町があったが、13世紀のシュタウフェン朝時代に帝国自由都市として発展した。ネッカー川が急に進路を西に変える場所にできたこの町は、両岸に広々と開けており、古くから温泉保養地として知られている。町中に見える2本の塔を持つ教会は、カトリック、1つの尖塔をもつのがプロテスタントの教会。15世紀に造られた城壁塔、16世紀に造られた手工業者の家(現在はアルテ・バートハウスという名のホテル)、小宮殿や鐘楼などの古い建物の周辺に、近代的設備を誇る保養館や保養センターがあり、年間を通じて訪れる人も多い。ネッカー川の向こう岸の山上には30年戦争で破壊されたシュトルツェンエック城(Stolzeneck)がそびえている。
    <立ち寄る場合イノシシの像の裏手にインフォメーションがある(開 月〜金 8:00-12:00 14:00-17:30、5月〜10月は土曜10:00-12:00もオープン)>

    -->9Km
    5.ツヴィンゲンベルク <Zwingenberug> 堅固な美の城(人口400人)
    ベルクは山を意味する、ベルクと名のつく城が多いが、それぞれ、川を見晴らす山の城として造られている。
    道路から左手の切り立ったがけの上に城が見える。この城は戦乱にもあわず、後世手を入れられることもなく、中世後期(13世紀〜15世紀)のまま保たれており、ネッカー川で一番美しい城と言われている。もともとホーエンローエー伯爵のものだったが、後にネッカー川をいく船を襲う、盗賊騎士たちのすみかとなってしまう。さらに前述したヒルッシュホルンの騎士の所有となり、ハイデルベルク城の主、プファルツ公の持ち城と変転を重ねた。現在はバーデン伯爵の個人の所有で、よく保存されている。作曲家ウェーバーはこの城をイメージして「魔弾の射手」をかき上げたと言われる。毎年ここでこのオペラが上演されている。

    -->3Km
    6.ネッカーゲラッハ <Neckargerach> 悲恋の中世騎士物語(人口2.400人)
    ツヴィンゲンベルク城を過ぎてしばらく走ると、ネッカーゲラッハの魅力的な町が姿を現し、その対岸の山上にミンネブルク城(Minneburg)がそびえている。1250年には既に古文書に城の名が記載されているが、建造主や建造年は分かっていない。30年戦争の時将軍ティリーに攻め滅ぼされてしまった、この城には悲しい恋の物語が伝わっている。
    城の侍女ミンナ・フォン・ホルネックと貧しい騎士エーデルミュートは深く愛し合って結婚を誓ったが、ミンナの父親はエーデルミュートが貧しいがゆえに、その結婚を許さなかった。やがてエーデルミュートは十字軍の遠征に参加することになったので、ミンナの父親はその隙にミンナを別の騎士に嫁がせてしまおうとした。それを拒んだミンナは結婚式の前夜、召使いとエーデルミュートにもらった犬を連れて、家を出てしまった。森の洞穴を住みかとし、食べ物は木イチゴや薬草、キノコなどを食べ、何年も恋人の帰国を待った。やがて、帰国したエーデルミュートは、必死になってミンナを捜した。やっとの思いで洞穴にいる彼女を捜し当てたが、恋人を待ちわびていたミンナは、彼の腕に抱かれた途端、力つきて永遠の眠りについたという悲恋物語。恋人への忠誠を命をかけて貫いた、忠誠騎士物語の一つである。

    -->11Km
    7.ネッカーエルツ <Neckarelz> テンプル騎士団の町(人口25.000人)
    テンプル騎士団の造った細長い高い建物があり、その後シュタウフェン朝時代には要塞になった。18世紀以降は、ヨハニス修道会の教会として使われている。テンプル騎士団は12世紀に設立された、十字軍時代の3大騎士修道会の一つ。(他に、聖ヨハネ騎士団、ドイツ騎士団がある)修道士としての誓願に、騎士の資格を加え、聖地巡礼の防衛を主な任務とし、独自の会則、特権、所領や城を持つことを許されていた。団員は赤十字付きの白衣を着て、全ヨーロッパに支部を設けたが、フランス王フィリップ4世がその富に目を付け、あらぬ罪をきせ団員を処刑し、財産を没収したためその結果、教皇クレメンス5世によって14世紀に解散させられた。
    ネッカーエルツはモスバッハ市の一部。モスバッハはネッカー川から離れて国道27号線を少し行ったところにある。中世の木骨組の家並みが美しいことで有名。これらの家々は15世紀から17世紀頃にかけて造られたもので、非常によく保存され、現在は住居、商店、レストランなどに利用されている。

    -->4Km
    8.ネッカーツィンメルン <Neckarzimmern> ネッカー最古の城(人口1.850人)
    町を見おろす小高い山の上に、ネッカー渓谷で一番古いと言われる、ホルンベルク城(Hornberug)がある。1148年の古文書にその名が見られるが、8世紀には建てられていたのではないかと言われる。
    この城は中世の英雄的な騎士、ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン(1480-1562)が1517年頃に所有したことから、ゲッツの城(Gotzenburg)の名で呼ばれている。ゲッツは疾風怒涛時代の詩人、ゲーテが24才の時に書いた史劇「ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン」に登場する勇猛果敢な騎士である。右手を戦いで失った後も鉄製の精巧な義手で剣を操り、無類の強さだったので「鉄腕ゲッツ」と称えられた。ゲーテのこの作品によって、ゲッツの名は世界に知られるようになるのだが、最後まで自由のために戦い、壮烈な最期を遂げたゲーテの作品とはちょっと違い、当時としては珍しい81才という長寿を全うして、この城で生涯を終えている。現在この城は城塞の部分が博物館になっていて、ゲッツの甲冑などが展示されている。居館の部分はホテルとレストランに利用されている。
    <城の真下から少し離れたところで街道が膨らんでいるので、バスを止めて写真撮影ができる>

    -->5Km
    9.グンデルスハイム <Gundelsheim> ドイツ騎士団の城(人口6.200人)
    グンデルスハイムは人気のある行楽地としてまた、ワインの産地として有名なところ。中世の面影が残る町のはしに、ドイツ騎士団の城ホルンエック城(Horneck)がある(街道のすぐ左手の城に見えない白っぽい建物)。16世紀に建造され、18世紀に改築されたこの城は、ネッカー渓谷で、ハイデルベルク城に次いで大きいものである。1430年から1525年にかけてドイツ騎士団の全国的な中心となった町で、城の英雄騎士ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲンの命を受けて農民戦争(1524-1525)を戦い、ひどく破壊されたという。現在内部は郷土博物館としてまた一部、老人ホームとして利用されている。ドイツ騎士団とは前出のテンプル騎士団と同じく十字軍遠征時代にできた騎士修道会の一つで、聖地エルサレムの奪回にはその勇猛ぶりがうたわれた。白いマントに、こちらは黒十字という装束で、その軍律は後のプロイセン軍隊の規範となった。


    -->3Km
    ・対岸に見える城はグッテンベルク城(Guttenberug)で、12世紀のシュタウフェン朝時代の建物が破壊されることもなく残っている。500年間以上もゲミンゲン男爵の居城として使われていたもので、現在は古城博物館として一般公開されている。また、この城では世界中から集めた、猛禽類を飼育していて、ワシやタカがネッカー川にきらりと光る魚をめがけて飛んでいき、取って帰って来るという、デモンストレーションを行っている。
    <旅程がゆったりとしていて、時間があるという時には、立ち寄ってみるのもおもしろい。ネッカー川にかかる橋を渡り城の下の道でバスを止める。入口まで5分ほど。入場は有料なので、お客様全員の同意が必要となる。所要30分ほど、但し鷹狩りのデモンストレーションを見るほどは時間がとれない。>

    -->6Km
    ・バート・ラッペナウ <Bad Rappenau> 温泉保養地
    食塩泉の湯治場。ドイツ人は薬のミネラル成分と温泉のミネラル成分を同様に考え、温泉を薬のように飲んだり、温泉プールに入浴したりして、療養する。ここの温泉は喘息や、リューマチ、血行障害などに効くとされている。

    -->5Km
    ・ハインスハイム <Heinsheim>
    1000年の歴史を誇る町でネッカー川の畔には17世紀に建てられた、バロック様式の城ハインスハイム城がある。

    -->5Km
    10.バート・ヴィンプフェン <Bad Wimpfen> 川岸の夢のシルエット(人口6.000人)
    グンデルスハイムからバート・フリードリヒスハルへ向かう途中、ネッカー川の流れは道路から遠く離れていく。ネッカー川の向こう岸に立派な町が見えてくる。それがバート・ヴィンプフェン。バスは止められないので、残念ながら車窓から眺めるしかない。
    ローマ時代からこの場所に町があったといわれ、12世紀にホーエンシュタウフェン王朝の皇帝たちがここを重要拠点にしたため、町は非常に繁栄し、帝国直属の自由都市となった。シュタウフェン王朝の没落後は、交易の中心地になっていたことから、この近辺の商業の中心地として発展していく。町の中にはホーエンシュタウフェン家の皇帝たちの宮殿や、かつての修道院、古い木組みの家などが残されている。宮殿は贅沢なしつらえだったというが、30年戦争で大部分が破壊されてしまった。町もその時に破壊され、現在残されている部分は、長さ225m、幅90m程しかない。ひときわ高くそびえる美しい塔は、町の象徴ともなっている青の塔で、皇帝の城の西の端にあったもの。屋根に使われている石板が青い色をしていた為に青の塔と呼ばれている。川岸の丘の上に立ち並ぶ城、城壁、教会、塔など、その川岸のたたずまいは、古城街道で最も美しい「川岸の町のシルエット」であると評判が高い。
    バートという名が地名についているところは鉱泉がでる所、この町はまた、鉱泉保養地としても知られている。

    -->5Km
    11.バート・フリードリヒスハル <Bad Friedrichshall> 塩の町(人口12.000人)
    ヤーグスト川(Jagst)とコッハー川(Kocher)がネッカーにそそぎ込む河口の町。この地からシュヴァーベン地方(Schwaben)にかけて塩脈が通っており、古くから製塩の町である。ハルというのはケルト語で食塩とか、食塩の産地を意味する。南ドイツからオーストリアにかけて、ケルト時代以前からの古い歴史を持つ食塩の産地で、ハルという地名を持つ町がいくつもある。この町の名も古くからあった製塩所(フリードリヒスハル)から取っている。その昔ここでとれた塩はロマンチック街道のランズベルク(Landsberg)に運ばれて取引されたという。現在も巨大な煙突を持つ塩の工場が沢山ある。道路から見える製塩所は、現在は使用されていないが、地面を深く掘り採掘された岩塩を運び出すためのクレーンを見ることができる。ヨーロッパの岩塩採掘は文字どおり岩塩を個体のままで掘り出す場合と、濃い塩水として地下から汲み上げ、煮沸して固形にする場合とがあった。現在では作業能率のの点から、炭坑に水を注入し塩水を汲み上げる方法が使われている。
    バートという名前が示すようにこの地にも食塩泉の療養施設がある。

    -->5Km
    ネッカースウルムでアウトバーンに乗り、ローテンブルクへと向かう。ネッカースウルムは自動車メーカーのアウディーがある産業都市。工場の駐車場にはアウディーの車がずらりと並んでいる。アウディーの本社はミュンヘンから北に60キロ程行ったインゴルシュタットにある。1910年に設立された会社だが、1955年にVolkswagenの傘下に入り、現在株式の99%をVW社が保有している。95年のカー・オブ・ザ・イヤーに輝いたAudi A4セダンが好調な売れ行きを見せ、またハンガリーに稼働したエンジン工場がうまくいった事で、大幅な増益を達成している。アウディーの工場を右手に見ながら少し行くと、大きな煙突が白い煙をはいているのが見えてくるが、これは原子力発電所。美しい風景の中で非常に異様な光景だが真横を通るので説明が必要。ドイツの電力は火力が66%、水力が4%そして原発が30%ということだが、原発は縮小する方向にあるという。海岸地方が少ないドイツでは河川沿いに原子力発電所が建設されているが、1980年に結成された緑の党を中心に反対運動が広まり、現在運転の止められている原発も多い。

    -->約113Km
    ローテンブルクへ