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(ロマンチック街道)
| ロマンティック街道はマイン川流域のフランケン地方の古都ビュルッツブルグに始まり、ミュンヘンの西、アルプスの麓にあるフュッセンまでの350キロ。ローマンティックという言葉の語源どおり、もともとローマ人によって作られた、現在の街道の南の部分にあたる、"VIA
Claudia Augusta"がその始まりといわれている。南のバイエルン地方の山地でとれた岩塩や、泥炭の輸送のために開発され、やがて中世初期には商業道路として利用された。次第に北にのびていき、マイン川付近にあった街道とつながった。マイン川はフランクフルト方面へと向かう重要な河川である。ビュルッツブルグからドナウベルトの間のロマンティック街道はとくに「皇帝道路」(カイザーシュトラッセ)と呼ばれていた。それは、この間の道路は中部ヨーロッパの2大河川マイン川とドナウ川を結んでいたからで、当時ウィーンにあったハプスブルク王家は即位するときにウィーンからドナウ川をさかのぼり、ドナウベルトで船をおり、ロマンティック街道を北上し、ビュルッツブルグからまた船で皇帝の戴冠式が行われるフランクフルトにやってきたからである。この街道は日本流にいえば参勤交代道路、ただ、皇帝の戴冠式は何十年に一度の出来事だった。それでなくともこの道は大都市ウィーンとフランクフルトを結んでいたわけで、ローテンブルクをはじめ街道沿いの町は大いに栄えた。近代に入りあまりに中世の面影がよく保存されているため、かえって近代化をためらわせ、アウトバーンも迂回することになってしまったが、そこに目を付けたドイツ観光局がロマンティック街道という新しい名所として売り出した。中世の頃に思いをはせていこう。途中ディンケルスビュールで写真ストップをしながら、ミュンヘン(あるいはフュッセン)まで4.5時間ほどで到着。 |
ローテンブルク〜アウグスブルクまで
道の所々にRomantische Strasse とドイツ語と、日本語で書かれている道路標識が立っている。各町に入る所に町の名前が書かれている。その町が終わるところに町の名前が赤い斜線で消されている標識を見ることができる。あわせて、次の町の名前とそこまでの距離が書かれている標識があるので、注意して見ていこう。
途中ドライブインのようなものはなく、トイレストップは町の公衆トイレを利用する、ローテンブルクをでて45分程で到着するディンケルスビュール、そこから30分のネルトリンゲン、その後はミュンヘンへのアウトバーン、もしくは交通渋滞で時間がかかるが、アウグスブルクの町中だけである。必ず停車したところで行っておいてもらおう。
旅の募集パンフレットや日程表に記載されているところは必ず寄らなければならないが、記載がない場合でも、時間があるのならディンケルスビュールへ立ち寄るとよいだろう
車窓から目に付くもの
農作物・・冬麦 夏麦 からす麦 とうもろこし じゃがいも ほうれん草 からし菜
秋から冬の間の農閑期には巻かれた牧草やボコボコとあいたモグラの穴が目に付く
果樹・・・ブドウ リンゴ 洋梨 さくらんぼ
街路樹・・スズカケが一番多い。他にマロニエ、菩提樹、アカシア
花・・・・窓辺にはペチュニアやゼラニウムが多い(匂いが強く虫を寄せ付けないため)
ホルンダー・・白い花、黒い実はジャムにする
ハーケンブッテン・・赤い実はマーマレードに
マイバウム(五月の樹)
ドイツでは春の訪れを祝い、5月になると町や村の広場に一本の高い柱を立てる。昔は真っ直ぐで高い松の木を森から切り出して立てていた。冬でも枯れない常緑樹には強い聖霊が宿っていると考えられていたからである。柱のてっぺんには新緑の枝を輪にしたものを飾り、そこから沢山のリボンをたらして、手に手にリボンの端を持ちながら、木の回りで踊ったり、歌ったりして春の到来を祝っていた。ロマンティック街道でもいくつかのマイバウムを見かける。バイエルン地方では旗の色と同じ、青と白で交互に塗られている。青は空の色、白はアルプスの雪の色を表している。今では一年中立ててあるが、五月頃が飾り付けされていて一番きれいである。
ローテンブルク <Rotenburg> 中世の宝石(人口12.000人)
-->13Km
シリンクスフュルスト <Schillingsfurst>
ROTのやや山手の方にある町で、1.000年以上の歴史をもつ。フランケン丘陵地の山頂にホーエンローエ・シリンクフュルスト候のバロック風の城がそびえている。城は12c頃にできたが、その後3度破壊され、現在の建物は18cの半ばにスペインのマドリッドにある城を手本に建てられたもの
-->23Km
フォイヒトヴァンゲン <Feuchtwangen> 涙に濡れたほっぺた(人口4.000人)
名前の由来は解らないが、フォイヒトヴァンゲンを日本語に訳すと、涙に濡れたほっぺたという意味になる
<通常は町の端を通るバイパスを通るだけなのであっという間に通過してしまう>
通過する際、左手に時計塔の付いた教会が見える、これは16cに建てられた後期ゴシック様式のヨハニス教会。左手後方の街の中心の方にカール大帝が築いたというベネディクト派の修道院の一部が見える。現在はプロテスタントのプファル教会となっていて、教会の内部にはデューラーの師であるミヒャエル・ヴォールゲムートの作った祭壇が飾られている。
町の歴史は817年にカール大帝がベネディクト派の修道院を建てたことに始まるという大変古いもの。ここはニュールンベルクとシュバービシュハルを東から西へ結ぶ街道と、ビュルッツブルグとアウグスブルクを北から南に結ぶ街道が交差するところに位置することから、交易都市として発展してきた。14c初頭に帝国自由都市となるが、14c後半ニュールンベルクの城主の手に落ち、その後近隣のホーエンツォレルン家、アンスバッハ辺境伯に支配されることになる。この街の中心にあるマルクト広場はかつて"フランケン地方の祝宴の間"と称されたほど美しく、広場の中央には花に囲まれたレーレンの噴水(1727年)が残されている。
-->12Km
ディンケルスビュール <Dinkelsbuhl> 子供達の町(人口11.000人)
-->26Km
ヴァラーシュタイン <Wallerstein> ペスト記念碑
エッティンゲン・ヴァラーシュタイン候の宮殿があったところ。町を通過する際、1720年に寄贈された三位一体の円柱が、道の真ん中に立っている。聖人と金色のマリア像からなるこの円柱は町の象徴であり、ペストが収まったことに感謝して奉納されたもの。
ペストは1346年頃から1350年にかけて全ヨーロッパを襲った。東洋に発生し、商船に乗る蚤やネズミによって運ばれ、病人の咳やタンや衣服について広まった。地中海からイタリア半島に上陸し、フランス全土に及び、スペイン、ドイツを襲い、北欧へと伝わっていった。医学も発達しておらず、町の衛生状態も良くなかった為、人や空気や土を媒体として病気は広まる。病人は家に閉じこめ戸口に釘を打ちつけて隔離したり、死者のでた家は焼き払い、時には瀕死の病人もろとも家を焼いてしまうこともあったという。原因も解らぬまま、身分階級を問わずこの死の手からは逃れることができなかった。ヨーロッパの人口の3分の1の人がその犠牲となったといわれる。実に3人に1人の人が亡くなっているわけだ。ペストには腺ペスト、肺ペスト、皮膚ペストがあり、高熱がでて全身悪寒に襲われ、意識がもうろうとして呼吸困難に至り、確実に死への道をたどる。ペストにかかると皮膚は鉛色や黒い色に変わり、そのために黒死病と呼ばれた。病気の治療法を突き止めようとフランス国王はパリや、モンペリエの大学に研究を依頼したが、原因は掴めず、ユダヤ人が毒を入れたからという噂が流れ、南フランスやライン川沿岸ではユダヤ人の迫害もあったという。49年頃から自然に衰退していったが、19cパスツールが細菌による伝染病を発見するまで、原因不明の病気として人々に恐れられてきた。
-->5Km
ネルトリンゲン <Nordlingen> いん石の町(人口20.000人)
<この辺りの畑では、アスパラガスやビーツ(さとう大根)を栽培している。アスパラガスはホワイトアスパラガスが土の中、グリーンアスパラガスが土の上に出てきたものを収穫するが、ドイツではグリーンのものでなく、白いのが好まれる。ドイツ産のものはライン川流域とハノーファー近郊のものが太くて形がよく柔らかといわれている。5月頃のホワイトアスパラガスの収穫時期には新鮮なものが食べられるが、レストランのアスパラガス料理は、6月24日の夏至をもってぴたりと終わってしまう。運良くこの時期にドイツに行った人は試してみよう。アスパラガスはSpargel(シュパルゲル)
。ビーツは秋頃の収穫の後、畑の片隅に山積みされている。畑には穴ぼこがぼこぼことあいているのを目にすることがあるが、これはもぐらの仕業>
-->18Km
ハールブルク <Harburg> 難攻不落の城
<ネルトリンゲンをでて15分程で、バスはハールブルク城の真下のトンネルを通過する。カーブを曲がると城壁で囲まれた、赤い屋根の城が突然現れるが、バスはすぐにトンネルに入るため城は見えなくなってしまう。短いトンネルを2つ抜けた後、車窓左手後方に再び望むことができる>
この辺りで街道は、シュバーベン山地とフランケン山地に挟まれた谷間にさしかかる。中世の頃この辺りに出没した山賊や、追い剥ぎから旅人達を守るため、12cに築かれたのがこの城である。街道を監視するかのようにそびえ立つこの城は、当時難攻不落の城とうたわれた。現在残る建物は16c半ばと18cに増築されたもので、16cから現在に至るまで、この地方の領主エッティンゲン・ヴァラーシュタイン候の居城となっている。エッティンゲン家には代々美術愛好家が多く、収集されたコレクションが1984年から城内部の博物館で公開されている。又、城の一部はホテル・レストランとして利用されている。部屋数が10室前後と少なく、予約を取るのは大変だが、ロマンティック街道で唯一のシュロスホテルである。
-->29Km
ドナウヴェルト <Donauworth> ドナウ川と出会う町(人口20.000人)
<通常バスは町中へ入らず、バイパスを通る。道路上のパーキングにバスを止めて、写真ストップすることができる。パーキング後方の小道を少し下ると、ドナウヴェルトの町が一望できる牧草地にでる>
ドナウ川とヴェルニッツ川が合流する地点にあった小さな島に、4c頃のゲルマン民族大移動の際に人々が難を避けて移り住んだといわれる。9c頃にはこの島を中心に小さな漁村ができていた。これがドナウヴェルト(ドナウ川の小島)の町の起こりである。12c頃からドナウ川の水運を生かして町は発展し、13cには帝国自由都市となり、大いに栄えたが、1607年にバイエルン公国に併合されてしまう。その後、30年戦争、18c初めのスペイン王位継承戦争、18c半ばのオーストリア王位継承戦争と3つの大きな戦争に巻き込まれ、その度に町は戦場となってしまう。そして第2次世界大戦では激しい空爆を受け、町の7割が壊されてしまった。現在町中には幸運にも戦禍を免れた、18cの聖十字教会や15cの教区教会、13cにその起源を持つ市庁舎など古い建物を中心に、市民の手で再建された町並みが、中世の頃の雰囲気を伝えている。
<ドナウヴェルトを過ぎるとすぐにドナウ川を渡る。橋にはDONAUと表示されている。「美しく青きドナウ」の曲などを用意しておくと良い>
ドナウ川というとオーストリアの川というイメージであるが、その水源は南ドイツの森林地帯に発し、ドイツ国内を東へと流れてオーストリア、ハンガリーへと入っていく。全長285キロの大河で、大型船の航行も可能な一級河川である。ドナウヴェルトの辺りではまだ川幅も狭いが、ここでヴェルニッツ川と合流し、さらに10キロ下流で、レッヒ川と合流し水量をぐーんと増していく。
美しく青きと歌われたドナウ川ではあるが、実際は茶色く濁っている。では何が美しく青かったのか、昔は青かったのか、ヨハン・シュトラウスの目がよほど悪かったのか。とにかく現在の川が、他の川よりとくに青いという事はないようだが、青という色をロマンスの色と考え、ロマンスという言葉が、長く波乱に満ちた歴史を意味すると解釈すれば、このドナウ川は確かにそんなロマンを秘めた川であるから、美しく青き・・と呼ぶにふさわしい。ただ一説によれば「恋をしている人にだけは、ドナウは青く美しく見える」そうである。あなたには何色に見えますか?
-->41Km
アウグスブルク <Augusburg> 久々の大都市(人口約25万人)
<ミュンヘンへ向かう場合は、町の郊外にある工業地帯を横目に見ながらアウトバーンへと入る>
<ミュンヘン手前のアウトバーン上にインフォメーションとそこに隣接されたトイレがあるので、ホテルまで市内の渋滞が予想される場合など、利用すると良い>
アウグスブルク〜フュッセンまで
ロマンティック街道はアウグスブルクの町を北の大聖堂の辺りから南のローテス門へと貫く。町を後にしてロマンティック街道はレッヒ川と平行して平野へと入っていく。レッヒ川のすそ野に開けた町、ランツベルクを過ぎると起伏のある丘陵地帯が続き、そのあいだをレッヒ川が流れ、湖や沼が点在している。この辺りは教会が多く建っていて、プファッフェンヴィンケル(聖職者の地)と呼ばれる自然美に恵まれた土地である。美しい森や教会の中に点在する可愛らしい町を通りながら、街道の手前、ノイシュヴァンシュタイン城へと続き、山岳地帯の気配を濃厚に漂わせ始める。終点のフュッセンまでは103キロ、2時間ほどのバスの旅となる。
途中トイレストップをする箇所はないので、アウグスブルクでトイレ休憩しておこう。
-->41Km
ランツベルク <Landsberg>
レッヒ川がアルプスの裾野を流れ、平野に注ぐ地点に位置する。レッヒ川はオーストリアのチロル地方にその源を発し、古代ローマ帝国の時代にはこの川がローマの東限となっていた。この辺りでは紀元前1650年頃の青銅器時代の遺跡や古代ローマの遺跡が見つかっており、古くから集落があったといわれている。現在の町の歴史は12cにハインリッヒ獅子王がこの地に城塞を築いたことに始まる。オーストリアとの国境に近いオーバーバイエルン地方からミュンヘンを抜けてボーデン湖へと塩を運ぶ道として、この地に架けられた橋を渡るルートがとられ、橋の通行税で町は栄えていった。その後近代化が進み、町は取り残され、地方の一都市となってしまう。19cバイエルン王国時代にはここに刑務所が築かれ、南ドイツの司法の中心となった。この刑務所にはミュンヘンで蜂起に失敗した若き時代のヒトラーが投獄されていた。彼の著書「我が闘争」はこの時に口述され、出版されたと言われている。
3重の市壁で囲まれた旧市街は中世の塔や、城門が残され、美しいたたずまいを今に伝えている。又、4年に一度開催される、ルーテンフェスト(小枝祭)と呼ばれる祭りはバイエルン地方で最大の子供の祭りで、中世の衣装を身につけた子供達が、新緑の小枝を振りかざしながら、春の訪れを祝うパレード。中世をよみがえらせるような時代行列がともに続く。
-->23Km
ホーエンフルヒ <Hohenfurch>
小さい町ながらマリア昇天教会、後期ゴシック様式の聖ウルズラ聖堂などの立派な教会がある。
この町を越えると街道は丘隆地帯へと入っていく。
-->4Km
ショーンガウ <Schongau> (人口約1万人)
アウグスブルクからイタリアに通じる古代ローマ時代の道 VIA Claudia と塩の産地ベルヒテスガーデン地方からフランスへ抜ける塩の道が交差する地点に町は栄えた。市壁で囲まれた町は中央通りに面して、中世の繁栄を物語るかのように、当時のままの倉庫、裁判所、貨幣の鋳造所の建物が、西の端には1515年に建てられた市庁舎が残されている。中央通りは当時、市場通りと呼ばれ、道幅の広くなっている所で市が開かれていた。
この地方がプファンフェンヴィンケル(聖職者の地)と呼ばれるだけあって、町の丘の頂には小さな町には不釣り合いなほど、立派な教会が建っている。17c末から18cに建てられた「聖母マリア昇天教会」で、この地方のバロック建築の代表作といわれている。
-->4Km
パイティング <Peiting>
アルメ川とレッヒ川に挟まれた所に位置し、小さい町だが2つの駅がある。12世紀に建てられた教会の塔、聖ミカエルがそびえている。
<ここでロマンティック街道は2つに分かれる。右の道を行くと次の町はシュタインガーデン。左の道を行くと下記記載の通りロッテンブーフ、ヴィルドシュタイクの町を経由することになる>
-->9Km
ロッテンブーフ <Rottenbuch> ブナの林の開墾
ここから12キロ離れたところにある、ヴィース教会と並び称される、マリア生誕修道院の付属教会がある。どちらも外から見たところは玉ねぎ頭の南ドイツ独特の教会だが、中へ入るとその豪華なロココ風の内部装飾に思わず驚きの声がでてしまう。
「ロッテンブーフ」という名前は「ブナの林の開墾」という意味で、その名の通り、アーマー渓谷の左岸にあったブナの原生林を開墾し、そこに築かれた教会が町の基礎となっている。アーマー渓谷は太古の時代氷河におおわれていたヨーロッパアルプスの一部が氷河によって削り取られてできた谷である。この近くにある(ミュンヘンからムルナウ経由でノイシュヴァンシュタイン城に向かうときに渡る)エヒェルスバッヒャー橋からは氷河によって深くえぐられた谷の様子を見ることが出来る。
-->5Km
ヴィルドシュタイク <Wildsteig>
静かな山あいの農村。この村は自然保護地区に指定されていて、珍しい植物が見られるそうだ。
-->ヴィース教会へ -- 時間があるツアーの時は是非訪れたい。
ヴィルドシュタイクとシュタインガーデンを結ぶ道の中程から、5キロ程南へ街道を外れたところに位置する。緑の草原の中にぽつんと建つ黄色い教会で、外観は何ということもないドイツゴシック建築の玉ねぎ頭の教会である。ヴィースとは牧草地という意味。この教会は1983年に世界文化遺産に指定されたドイツロココ風様式の内装をもつすばらしい教会。<ドイツ各地には世界遺産として現在18の歴史的建造物がその指定を受けている>
ヴィース教会 <Wieskirche>
1730年、シュタインガーデンの2人の修道士がキリスト受難の日にあたる聖金曜日の行列のために、古い木彫の像をつなぎ合わせて「むち打たれるキリスト像」を造ったが、この像はあまりにみすぼらしかったために、数年後には忘れ去られ、屋根裏部屋に放置されてしまう。1738年農家の主婦がこの像を見つけ、哀れに思い、貰い受けて自分の家に持ち帰った。数週間後に夫婦で夕べの祈りを捧げていると、この像の目から涙が流れ出ていた。これが「ヴィースの涙の奇跡」として広まり、たくさんの人たちが病気の治癒などの祈願に訪れるようになる。この像をまつるために建てられたのがヴィース巡礼教会である。1745年当時、宗教建築において名声の高かった建築家、ドミニクス・ツィンマーマンの手により、10年の歳月をかけて建てられた。60才でこの仕事を引き受けたツィンマーマンは、教会完成後も教会のすぐそばに居を構え、80才で亡くなるまでここに暮らした。ロココ建築はバロック様式の最後の姿として、フランスで、宮殿や貴族の邸宅などの内装の様式として生まれた。幻想的な華麗さがその特色である。ドイツにおいてはこの様式に落ちつきが加わり、宗教建築でも用いられるようになる。過度な派手さが抑えられ優雅さを感じる造りである。
(細かい説明より内部に入り、実際に見ていただくのが一番)
・中央祭壇には教会設立のきっかけとなった十字架に架けられたキリスト像が顕示されている。
・左右の側廊には祈願を成就した多くの巡礼者達の奉納品がかけられている。
・一見大理石に見える柱は、漆喰に彩色をほどこした人工の建築資材が用いられている。
-->7Km(ヴィルドシュタイクから)
シュタインガーデン <Steingaden> 立派なマイバウムの町
<ヴィルドシュタイク方面からきた場合、シュタインガーデンでバスは左に折れる。
立派なマイバウム(五月の樹)が見える>
ロマンティック街道ではいくつかのマイバウムを見かけるがシュタインガーデンのマイバウムはその中でも大きくて立派なもので、バイエルンの旗の色と同じ、青と白で交互に塗られている。青は空の色、白はアルプスの雪の色を表している。
柱には様々な職業を板絵にしてくり抜いた飾りが付けられている。中世の頃修行のために様々な町を渡り歩いていた職人が、町に入ってきてマイバウムを見て、その町にどういった職人がいるのかを知る目安にしたそうである。こうして自分が修行している職業がないときは、次の町まで旅を続けたわけだ。
マイバウムと道路を挟んで反対側の広場には、2つの塔をもつシュタインガーデン教会がある。ヴィースやロッテンブーフの教会とともに南ドイツロココ風教会の傑作といわれている。
シュタインガーデンを後にして、バスは丘を上り下りしながら、山岳地帯へとさしかかる。シュヴァンガウまでは18Km。城へ着く前にルードヴィッヒ2世の話をしておこう。話の長短にあわせて始めて、ワーグナーの曲を聴きながら城が見えてくるというのもなかなか効果的。遠く前方左手の山の中腹にノイシュヴァンシュタイン城が見えてくる
途中右手にバンバー湖(Bannwald See)が見える。夏などはウィンドサーフィンをする人で賑わっている
左手の山にスキー用のリフトが見える。滑降スキーと並んで、この辺りはラングラウフ(スキー・マラソン)が盛んで雪のある頃に訪れると道路脇のコースを滑っている人を目にする。かかとが板から離れるスキーを履き、年輩のご夫婦などが手軽に楽しんでいる。
ノイシュヴァンシュタイン城へ向かうときは聖コロマン教会の横を走っていく。時間があるようなら写真ストップするのも良いだろう。この辺だと城と人物が一緒に記念撮影できる。この道は車が結構スピードを出して走ってきて、観光客の事故が何度か起きている。バスは道路わきに停まるので、絶対道路には出ず、横の草むらから写真を撮ってもらおう
シュヴァンガウの村に入る手前、左手の山はテーゲルベルク山(Tegerlberg)。山頂まではロープウェイが運行していて、夏はハイキング、冬はウィンタースポーツでにぎわう。春から秋にかけては山の上からパラグライダーで降りてくる人をよく目にする。ロープウェイの乗り場の近くにパラグライダーの教習所があり、テーゲルベルク山頂から飛び立ったパラグライダーはこの辺りに着陸する。
-->18Km
シュヴァンガウ<Schwangau>
ノイシュヴァンシュタイン城
-->4Km
フュッセン<Fussen>
ロマンティック街道、終点の町
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