| BC4世紀 |
ケルト人が町を開く |
| BC1世紀 |
BC222年、ローマ人に征服され、メディオラーヌム(「平野の真ん中」という意味のケルト語をラテン語に直したもの)という旧名で呼ばれる |
| 3世紀 |
3世紀末、ディオクレティアヌス帝の4分統治策により、ローマ帝国が東西に分けられ、ミラノが西の正帝の本拠地となる |
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4世紀
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313年コンスタンチヌス帝によりキリスト教を公認する「ミラノの勅令」が公布される374年聖アンブロシウス(ミラノの守護聖人)が人民によってミラノ司教に選ばれた |
| 5世紀 |
402年ホノリウス帝により首都はラヴェンナに移される |
| 6世紀 |
569年ランゴバルト族が荒廃したミラノに入ってくる |
| 11世紀 |
11世紀中頃コムーネ(自治都市)が成立 |
| 12世紀 |
1162年神聖ローマ帝国皇帝フリードリッヒ1世により城壁を取り壊される。
1176年レニャーノでの戦いにより、皇帝軍を破る |
| 13世紀 |
1260年頃豪族トリアーニ家が全権を握り、1277年にヴィスコンティ家に倒されるまでその支配下に置かれた |
| 14世紀 |
1277年〜1447年までヴィスコンティ家のもと町は繁栄し、近隣のコムーネをその支配下に置き領域を拡張した |
| 15世紀 |
1447年ヴィスコンティ家が絶えると共和制が復活するが、3年しか続かなかった。ヴィスコンティ家の娘婿であった、フランチェスコ・スフォルツァが権力を握る
15世紀末、スフォルツァ家のルドヴィコ・イル・モーロ(色が黒かったのでイル・モーロとあだ名で呼ばれた。モーロとは北アフリカのイスラム教徒のこと)
は武力でミラノ公国の支配を勝ち取った。彼のもと商工業が発達し、手工業やアルプス以北の都市との交易、潅漑が整備されたロンバルディア地方の農業が盛んとなり、ヨーロッパ有数の豊かな地域となる。ブラマンテやレオナルド・ダ・ヴィンチが招かれミラノに作品を残したのもこの頃である |
| 16世紀 |
フランスのルイ12世がヴィスコンティ家出身の祖母を持つことで公位継承権を要求し攻めてくる。ミラノは占領と返還を何度か繰り返し、1535年から170年に及ぶスペインの統治下に置かれる |
| 18世紀 |
スペインの王位継承戦争が始まり1706年からナポレオンの時代をのぞき、オーストリアの支配下に置かれる。女帝マリア・テレジアの支配の下、イタリア人官吏たちにより啓蒙専制主義による改革が押し進められた
1797年ナポレオンによるチザルピーナ共和国の首都となる
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| 19世紀 |
1805年〜1814年にはナポレオンによるイタリア王国の首都となる。
ナポレオン失脚後、1814年のウィーン会議により、ヴェネツィア・ロンバルディアはオーストリアの領土となる。これにより1866年までミラノはオーストリア帝国の支配下に置かれた
1861年イタリア王国建国(首都トリノ)、ミラノは1866年に統合される
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| 20世紀 |
第二次世界大戦以降、都市は周辺の町を吸収し発展した
1948年イタリア共和国誕生 |