オルヴィエートの概要・歴史


概 要
ウンブリア州、テルニ県、人口約22.000人。
バーリア川によってできた平野に一つだけ突き出た、標高325mの高く険しい岩山の上に造られた町。凝灰岩の岩山を平たく切ったような台地に、長さ1.700m、幅800mの距離を持つ、中世の佇まいをそのまま残した町がある。中世のイタリアには周囲の都市との争いに備え、安全のため小高い丘の上に造られた小さな町がたくさんあった。オルヴィエートもそんな町の一つ。坂道だらけで攻めにくい自然の地形を利用した山岳都市である。


歴 史
その歴史はローマ以前のエトルリア時代にさかのぼり、エトルリア同盟の主要な都市国家として栄えた。エトルリア人はBC10〜8世紀にイタリア中部のエトルリアにいた民族。彼らがどこからきたのか解明されていないが、BC10世紀頃に小アジアから移ってきたという説が有力。金属製品の輸出を中心に海上交易に活躍し、BC7〜6世紀にその最盛期を迎え、一時はローマをもその支配下においた。さらに南イタリアに植民地を建設するが、フェニキア、ギリシャ抗争でBC5世紀に衰え、BC3世紀にはローマ人に征服されてしまう。オルヴィエートはBC280年にローマによって滅ぼされた。住人は南西に10キロほどいったボルセーナ湖畔に逃げ延びて、それまで住んでいた町を古い町(Urbus Vetus) と呼び、これがオルヴィエートの名前の起源となる。エトルリア時代の遺跡として墳墓群(ネクロポリス) が町へ登る北側の斜面に残されている。凝灰岩の岩を積み上げた長屋のような墓室が並び、その入口にはギリシャ文字で亡くなった人の名が刻み込まれている。

4世紀頃から10世紀頃までを初期中世というが、その間イタリア半島平野部の農民は蛮族の侵略をさけて山岳部へ入っていく。その後10世紀から16世紀までの中世にイタリアの山岳都市が成立された。オルヴィエートは中世初期にはゴート族とビザンチンの争奪の対象となり、ランゴバルト支配の下、伯爵領が置かれるまで続く。自治都市としての最も古い記録は12世紀に残されている。

12世紀 コムーネの形成、1157年に法王ハドリアヌス4世によって承認される
13世紀 13世紀初めにはドメニコ派やフランチェスコ派の修道会もここで活動を初めカヴール大通りに沿って店や工房が並んだ。1260年にドゥオーモの建設が始まり、市庁舎、ポポロ宮なども建てられた
14世紀 14世紀の初めにグエルフィ(法王派)とギベリン(皇帝派)の争いが武力闘争に発展し町の一部が破壊されている。自治体制が崩壊し法王派が権力を握る。その後ペストの流行などにより町は人口が半減し衰退する
15・16世紀 教会がオルヴィエートを法王領とする。その堅固な地形を利用して皇帝派との争いに破れた時には法王がローマから避難できるよう法王派の砦として町が整備される。めぼしい建築はサン・パトリツィオの井戸とペトルッチ宮くらいだが、古代の城壁の修復や建物の外装など法王によって手が加えられた
19・20世紀 1860年イタリア王国に編入。ペルージア県の一部となる。
1927年に現在のテルニ県に移った