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観光スポット
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サン・パトリツィオの井戸 Pozzo di S.Patrizio
町の水の自給を確保するために法王クレメンス7世の命を受けアントーニオ・ダ・サンガッロが1528年から1537年にかけて作ったもの。井戸は直径13mの円筒形で62mの深さまで掘られており、248段の螺旋階段が昇り降り別々にめぐらされているという独特で斬新な作りとなっている。凝灰岩の岩壁には、明かり取りのため72の小さな窓があけられており、昔は革袋に水を入れラバにかつがせて水を運んでいた。
<4/1〜9/30 8:30-20:00、10/1〜3/31 10:00-18:00、料金6.000リラ(グレコ美術館との共通券は10.000リラ)>
井戸の名前の由来となった、St. Patrick は360年にアイルランドで生まれ、深い洞窟で悟りをひらいた聖人。サン・パトリツィオは
"底なし" の代名詞となっている。
クレメンス7世 ClemensVII(在位1523-1534)
メディチ家出身の法王。1527年カール5世による「ローマ劫掠(ごうりゃく)」にあい、サンタンジェロ城にたてこもり応戦したが、ローマは殺戮と破壊をこうむった。サン・パトリツィオの井戸はその翌年から作られている。オルヴィエートはローマ法王領となり、法王は敵に攻められてサン・タンジェロ城に逃げ込むぐらいではすまないような時には、このオルヴィエートを避難場所とした。そのため古代の城壁の修復や新たな城塞を築くなど法王によるものがいくつか見られる。 |
アントーニオ・ダ・サンガッロ・イル・ジョヴァネ (1483-1546)
Antonio da Sangallo il Giovane
フィレンツェ近郊出身の建築家一族、サンガッロ家の一員。ローマでブラマンテのもとで働き(1503年頃)、ファルネーゼ宮殿の建設などファルネーゼ家のためにいくつか仕事をした。ラファエロの死後、1520年からサン・ピエトロ大聖堂の主任建築家となる。 |
ドゥオーモ Duomo
「聖母マリアの被昇天」に捧げられたイタリアゴシック建築を代表する教会。1290年に「ボルセーナの奇跡」の聖遺物を奉るために建設が始められ1600年に完成。モザイクの制作は18世紀まで続けられた。当初の予定はロマネスク様式の教会であったが、やがて流行してきたゴシック様式に変更された。歴代152人の彫刻家、90人のモザイク制作者、68人の画家、3人の建築家がたずさわっている。
| ゴシック様式は12世紀半ばに北フランスに始まり、15世紀のルネッサンス期に到るまで西ヨーロッパに流行した建築様式と、それに伴う造形美術。ロマネスク様式と異なり、高い天井、大きな窓、ステンドグラス、高い塔などを特徴とする。大小の塔や尖塔アーチは神のいる天をめざし高く登ろうという上昇感を出している。 |
<参考>
ロマネスク建築は11世紀から12世紀にバジリカ様式を基本として平面的、立体的な空間構成を作り出したもの。二重の側廊や半円形のアーチなどにその特徴を持つ |
| バジリカ様式礼拝堂はロマネスク様式の祖先となる教会堂建築の一様式。古代ローマの法廷や集会場などの公共建築がその原型となっている。東ヨーロッパではビザンチン様式に発展した。 |
 
ファサードの設計はシエナ出身のロレンツォ・マイターニによるもの。マイターニはシエナ大聖堂建設に従事していたところ、オルヴィエートに招かれて、1310年から1320年にかけてここの建築主任を任された。そのためオルヴィエートとシエナのドゥオーモはよく似ている。マイターニの後はアンドレア・ピサーノに引き継がれている。
日があたると金色に輝くモザイクはガラスに24金の金箔を張り付けるというビザンチンの技法を用いてマリアの生涯を描いている。14世紀に作られたものを18世紀に修復している。
大きなバラ窓は14世紀後半を代表するフィレンツェの芸術家アンドレア・オルカーニャの作品。周囲には上部に12使徒、左右に12人の預言者が描かれている。
ファサードの最下段、3つの扉を挟むように並ぶ4つの付け柱には、マイターニとその弟子たちによる、大理石の見事な浮き彫りが彫られている。向かって一番左には創世記の物語が下から順に天地創造、エデンの園、悪魔の誘惑、楽園追放といった様に上に向かって展開していく。隣の付け柱にはイエスの系図を表すエッサイの樹、イエスに到るまでの旧約の預言者たちが描かれている。その上に乗る4体のブロンズの像は4人の福音史家のシンボルで、左からマタイを表す天使、マルコを表すライオン、ヨハネを表すワシ、ルカを表す牛である。これらもマイターニの作品といわれている。
中央の扉はエミリオ・グレコによって1961年から64年にかけて作られた。現代イタリアを代表する彫刻家が大聖堂に新鮮な20世紀の息吹を吹き込んでいる。エトルリアやローマの彫刻を学んだグレコの古典を重んずる精神が表され、建物との違和感を感じさせない作品である。
建物の側面は白と黒の玄武岩で作られている。
堂内は三廊式で、床、壁面は外壁と同じ様に白と黒の石が交互に積まれた横縞模様となっている。翼廊の袖が短いバジリカ式プランであることや、2列の太い円柱が半円アーチを支えていること、むき出しの木骨の天井などに当初の計画であったロマネスクの雰囲気が残されているが、垂直にのびる空間や大きな窓はゴシックのものである。
コルポラーレ礼拝堂 Cappella del Corporale
左翼廊にある礼拝堂。「ボルセーナの奇跡」でキリストの血に染まった聖体布が奉られている。
「ボルセーナの奇跡」
オルヴィエートから南西に10キロほど行ったボルセーナ湖の湖畔にボルセーナの町がある。1263年そこの教会でローマへ巡礼に向かう途中のボヘミアの司教がミサをあげていた。カトリックのミサの中で一番重要な儀式が聖体拝領である。キリストが最後の晩餐で弟子たちの前で行った、パンをとり、「これは私の体である。これを受けて食べなさい」ぶどう酒をとり、「これはあなた方のために流される私の血の杯である。これを受けて飲みなさい」そして「これを私の記念として行いなさい」と告げた。キリストの代理として司祭たちはミサの中でこの儀式を繰り返す。何でもない小麦粉の固まりがこの瞬間にキリストの体である聖体に変化するのである。司教はミサをあげながらふと聖体の神秘に疑問を持った。すると二つに割った聖体から血が滴って聖体布を赤く染めた。この事実を知った時の法王ウルバヌス4世は翌1264年に聖体祭を制定し、この奇跡の聖体布を納めるためにオルヴィエート大聖堂が建てられた。
<聖体祭は6月の聖体節の日曜日。この日には町で聖体の行列と中世の時代行列が行われる>
聖体布が納められている聖遺物箱は1338年にシエナの金細工師ウゴリーノ・ディ・ヴィエーリによって作られた。キリストの生涯をモチーフとした貴金属や七宝細工を施された豪華なものである。聖遺物箱はさらにアンドレア・オルカーニャの制作した厨子に安置されている。(ご開帳の時にしか見られない)
周囲の壁面には「ボルセーナの奇跡」に関するフレスコ画がオルヴィエートやシエナの画家たちによって描かれている。
主祭壇の後陣にはジョヴァンニ・アンマナーティによって1330年に作られた寄せ木細工の合唱隊席が設けられている。現在置かれているのは複製でオリジナルはドゥオーモに向かって右隣の附属博物館に保管されている。('97年10月現在、修復中)
奥のステンドグラスは「マリアの生涯」を主題として、14世紀にアッシジのジョヴァンニ・ディ・ボニーノによって作られた。1800年に修復されている。('97年10月現在、修復中)
サン・ブリーツィオ礼拝堂 Cappella di S.Brizio
<料金3.000リラ、チケットはドゥオーモ広場のインフォメーションか周囲の土産屋にて販売している>
祭壇に飾られた「サン・ブリーツィオの聖母子」に由来してこう呼ばれるが、別名ヌォーヴァ礼拝堂Cappella
Nuova とも呼ばれる。
1447年に「受胎告知の画家」として有名なフラ・アンジェリコが壁画に着手するが一部を仕上げただけで法王に呼ばれてローマへ行ってしまう。その後約50年の空白を置いて、ルカ・シニョレッリが完成させた。シニョレッリはミケランジェロの先駆者と呼ばれ、彼によって描かれた黙示録からテーマをとった各場面には解剖学的な正確さ、力強さ、生々しい迫力などが溢れている。
- 「地獄」角を生やし、腰のあたりに動物的な毛を生やしている、恐ろしい形相の悪魔たちは赤、ピンク、黄、緑が混ざりあった不気味な皮膚の色をしている。地獄に落とされた人々は悪魔に首を絞められ、縛られ、炎で焼かれ苦しみにうごめいている。中空には地獄に落とされていく者や羽の生えた悪魔に運ばれてくる者が描かれ、右上には、3人の大天使、ミカエル、ラファエル、ウリエルが甲冑をつけて立っている。作品に描かれている人間も悪魔も、ともに均整のとれた肉体美を持ち、その体がねじれたり、伸びたり様々な動きをしている。この力強い人体の表現が、この絵に生々しい迫力を作り出している。
- 「死者の復活」入口を入ってすぐ右手
- 「世界の終末」
- 「偽キリスト」入口を入ってすぐ左手。黙示録を題材に描くことは古くからの伝統に即しているが、その中に「偽キリスト」を主題とした絵が含まれるのは珍しい。これは1498年ジロラモ・サヴォナローラを支持したフィレンツェがローマ法王庁から破門され、ついにはサヴォナローラを処刑することで法王の許しを得たという事実に関連している。当時シニョレッリはフィレンツェのメディチ家の保護を受けており、メディチ家が追放されると、メディチ派であるとして、サヴォナローラを新しい指導者とする政庁から手痛い目にあっている。
2人の黒衣の人物はフラ・アンジェリコ(右側の僧服姿)とシニョレッリ(左側のこちらを向いている人物)の肖像画。その右の方に倒れている人物はサヴォナローラではないかといわれている。
前足で立とうとする馬は傲慢を表す。中央の人物は悪魔の言葉が書かれた台に乗っている。
- 「神によって選ばれた者」
- 「天国へ導く天使たち」
- 「天へ迎えられる選ばれた者」
- 「ダンテの浄罪界」
- 「エウリュディケの冥界からの解放を願うオルフェウス」--ギリシャ神話から
天井の壁画
「最後の審判」大半がシニョレッリの作で、ミケランジェロがシスティーナ礼拝堂に「最後の審判」を描く時に参考にした
「預言者とキリスト」1447年に描かれたフラ・アンジェリコの作品
ソリアーノ宮(ドゥオーモ博物館) Pal. Soliano
13世紀の末に法王ボニファキウス8世の命を受け建設された。工事は一時中断し、15世紀に完成している。この地方でとれる凝灰岩で造られ、外部に大きな階段と三連の窓のあるゴシック様式の建物。以前は法王宮殿(Palazzo
dei Papi) とも呼ばれ、法王たちが各国大使と謁見したり、会談を開催するのに使われた。現在は1階にエミリオ・グレコ美術館、上階にドゥオーモ市立博物館が置かれている。
エミリオ・グレコ美術館
ドゥオーモのファサード中央の扉を制作した、現代の彫刻家エミリオ・グレコが町に寄贈した彫刻、版画などが展示されている。
ドゥオーモ博物館
外の階段を登った2階のテラスにある。ドゥオーモ教区内の教会にあった彫刻、絵画、聖具などが展示されている。
法王ボニファキウス8世 (在位1294
- 1303)
・1300年に初めて聖年の行事を設定
・ローマに大学を創立
・フィレンツェからジョットを招き、ローマのラテラノ教会の回廊に壁画を描かせた |
ファイナ宮(市立考古学博物館) Pal. Faina
ドゥオーモの真向かいに立つ19世紀の館。クラウディオ・ファイナ伯爵によって市に寄贈されたファイナ家の考古学コレクションを中心に、エトルリアやローマの遺跡から出土した壷、石棺、古代のコインなどが展示されている博物館。
教皇の館(国立考古学博物館) Pal. Papale
ドゥオーモとドゥオーモ博物館の間の小さな広場の突き当たりの建物。法王の住まいとして12世紀に建て始められ、何百年かに渡り拡張、修復が繰り返された。博物館にはオルヴィエート周辺で発見されたエトルリア人の副葬品や墓地から移されたフレスコ画、武具などが展示されている。
ポポロ宮 Pal.del Popolo
<ドゥオーモからポポロ宮へ向かう途中、町の目抜き通りコルソ・カヴールとの十字路にモーロの塔が建っている。14世紀頃建てられた42mの塔には24の職業組合のシンボルを表す鐘がつけられている>
13世紀にかつての執政長官の館として建てられた。コムーネ時代が終わると牢屋、工房、農産物の倉庫などに利用され、19世紀には廃棄状態となっていた。1987年〜90年に修復され現在は会議場として使用されている。この地方特産の凝灰岩を積み上げて造られた、ロマネスク・ゴシック様式の建物で、上階部分につけられた3連の窓が全体の印象をやわらげている。建物の上部にはツバメの尾の形をした狭間がつけられている。
レプッブリカ広場 P.za della Repubblica
中世以来町の中心的な広場で長いファサードが連なる市庁舎が建てられている。中世の建物を15世紀に改修したもので、二連窓が美しい付属の十二角形の塔は12世紀のもの。
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