観光スポット


マルツィア門とパオリーナ城塞 Porta Marzia e Rocca Paolina

BC3世紀に建造されたエトルリア時代の門。アーチの上に数体の彫像がはめ込まれている。BC40年にローマ人によって修復され、その時にアウグスト帝を記念して"Augusta Perugia" と刻まれている。
16世紀ペルージアでは塩戦争が起きている。これは法王パウロ3世による塩の課税に対してペルージアが起こした反乱で、この戦いに敗れたペルージアはパウロ3世に武力で占領されてしまう。1540年、法王はアントニオ・ダ・サンガッロ・イル・ジョヴァネに設計を命じ、それまでの支配者バリオーニ家がエトルスク、ローマ時代の城塞の跡に建てた館を取り壊し、パオリーナ(パウロ)城塞を造らせた。マルツィア門はこの城塞の東側城壁に組み入れられていた。ペルージアは法王領として約300年に渡り教会の支配下に置かれることになる。

塩戦争
1538年パウロ3世は法王領での塩の価格を50%引き上げた。ペルージアは増税を行わないという約束を破るものだと訴えたが法王はその主張を認めず、1539年3月市を破門した。ペルージアは25人の指揮官を選び軍隊を結成して13.000人の法王の軍と戦闘を起こす。戦いに敗れたペルージアは法王の特使による支配を受け入れ、パオリーナ城塞建設費用までも負担させられる。

1848年、ヨーロッパ全体が革命の波に包まれ、イタリアでもシチリアでの蜂起を皮切りに諸国で革命が起きている。自由への理想に目覚めたペルージアの人々は、法王の権力の象徴であったパオリーナ城塞の解体にとりかかり、イタリア統一を迎えようとする1860年に解体は終了した。城壁はその時取り壊され、エトルスクの門だけが残されている。

<この門から地下道へ入っていく(日没まで開通)>

この地下道はパオリーナ城塞のしっかりとした基礎の部分と中世地区の広い遺構の間を突き進んでいる。ペルージアが古代や中世の町の上に造られていることが実感できる。
中世の遺構を見学し、エスカレーターにて再び旧市街へと昇る。


イタリア広場 Piazza Italia

16世紀のパオリーナ城塞が取り壊された跡に造られた広場。広場の横には柱廊のある県庁舎が建つ。県庁舎の裏手にあるカルドゥッチ庭園からは、ウンブリアの雄大なパノラマが眺望できる。


コルソ・ヴァヌッチ Corso Vannucci

イタリア広場と11月4日広場を結ぶ町の目抜き通り。エトルリア、古代ローマ時代に南北に走っていた幹線道路と一致している。通りの名はペルージアを代表する芸術家、ペルジーノの正式名、ピエトロ・ヴァヌッチに由来する。
通りには様々な店が立ち並び買い物客で賑わっている。300mほどのショッピングストリートで、フリータイムを取り買い物をしてもらうのにはちょうど良い距離である。


大噴水 Fontana Maggiore

フォンターナ・マッジョーレは大いなる泉を意味する。ペルージアのような山岳都市の一番の問題は水の確保だった。高い丘の町に水を供給するというのは大事業であり、1277年近くのパッチャーノ山から水を引いてきたことを記念してこの泉が造られた。1278年に完成したこの泉は今では鉄柵で囲まれていて鳩の水飲み場になっているが、ニコラ・ピサーノとジョヴァンニ・ピサーノの彫刻で飾られたペルージアのシンボルである。

5段の同心円の上に25角形の水盤がのる。各面は2枚のパネルの浮き彫りで飾られている。これらの作品は父、ニコラ・ピサーノによるもので、月暦、旧約聖書の物語、ローマ建国の伝説ロムルスとレムスなどをモチーフとしている。
その上にのる小円柱で持ち上げられた水盤は赤いパネルを24角形に組み上げたもので、パネルとパネルの間には聖人やペルージア、ローマ、トラジメノ湖を寓意像として表した、大理石製の小さな像が飾られている。
一番上の中央にのるブロンズの彫刻は「ニンフの像」もしくは「三徳の寓意像」と呼ばれ、息子のジョヴァンニ・ピサーノによるものである。
父ニコラの最晩年のそして息子ジョヴァンニの初期の頃の作品である。完成後間もなく父が亡くなると、息子ジョヴァンニは故郷ピサではなくシエナに定住し、大聖堂建設に従事する。


11月4日広場 Piazza 4 Novembre

別にグランデ広場とも呼ばれる。(11月4日は1918年の第1時世界大戦の勝利を記念した日)
エトルリア時代から町の中心で、南に政庁舎の建物プリオリ宮、北に大聖堂が建つ、ペルージアの宗教、行政の中心となる広場。未完成の壁面を見せている大聖堂の石段の上にはブロンズでできた「ユリウス3世」の像が道行く人々に祝福を与えている。


プリオーリ宮 Palazzo dei Priori

1293年から1443年にかけて建てられた、ヴァヌッチ通りの角にある壮大なゴシック建築の政庁舎。プリオーリとは自治都市の時代の最高指導者たちのことで、今は市役所が入っている。2つの広間(1階・商人組合の広間、2階・公証人の間)と3階部分にある図書室が一般に公開されており、4階には国立ウンブリア美術館が入っている。

大噴水に面した側には、2階にある公証人の間へ続く大きな扉(普通は閉まっており入口はヴァヌッチ側の通用門)に向かって、扇状の階段が配置されている。扉の上には市民派のシロエリハゲワシと皇帝派のライオンのブロンズ像が左右に飾られている。
ヴァヌッチ大通りに面した側は1階部分に続くアーチや優雅な三連窓、建物上部につけられた狭間などにより大きな建物の持つ重厚さを軽減している。

  • 公証人の間 (Sala dei Notari) <9時-13時、15時-19時 月曜休>←現地でも確認して下さい。
    幾重にも並ぶ力強い大アーチに支えられた、奥行き27m幅14mの広間で、天井はカヴァッリーニ派<ローマの画家ピエトロ・カヴァッリーニ(1250-1334頃)派>による旧約・新約聖書をモチーフにした14世紀のフレスコ画で飾られている。また1499年までの歴代執政長官の紋章が描かれており、中世の面影を色濃く残している。
  • 商人組合の広間 (Collegio della Mercanzia)
    <開:9時-12時半、15時-19時 ただし11/1〜2/28 は 8時-14時 日曜、祝日は9時-13時
     休:月曜、1/1、5/1、12/25 料金:有料>←現地でも確認して下さい。
    メインの扉口の右側から入る。町の同業者組合の中で特に富と力を持っていた商人の組合が置かれていた。謁見の間は15世紀前半に作られた精巧な寄せ木細工で装飾されている。
  • 国立ウンブリア美術館(Galleria Nazzionale dell'Umbria)
    <開:9時-13時、15時-19時 日曜祝日は9時-13時
     休:1/1、5/1、12/25 料金:10.000リラ>←現地でも確認して下さい。
    1863年の創設で当初は1308年に設立されたペルージア大学の中に置かれていたが、1879年からプリオーリ宮の中に移転し、1918年に国立となった。
    ペルジーノ、ピントゥリッキオを始めとする13世紀から18世紀にかけてのウンブリア派の絵画が展示され、叙情的な作風で知られるウンブリア派の発展の様子が分かる。

  • コッレージョ・デル・カンビオ Collegio del Cambio


    プリオーリ宮の左端に建設された、商人組合と同様にペルージアで重要な同業者組合であった両替商の建物。1452年から57年にかけて建築家バルトロメオ・マティオーリとロドヴィーコ・ダントーニボによって建てられた。ここの「謁見の間」にはペルジーノによって1498年から1500年にかけて制作された壁画装飾がある。弟子の一人としてちょうどこの頃にペルジーノの弟子となった15歳のラファエロも加わっていたと思われる。聖書、寓話、古典などの人物の中に、赤い帽子をかぶったペルジーノの自画像が描かれているのがよく知られている。

    ペルジーノ(ピエトロ・ヴァヌッチ)1445-1523
    Perugino (Pietro Vanucci)
    ペルージアの近くチッタ・デッラ・ピエーヴェに生まれ、ピエロ・デッラ・フランチェスカの弟子として仕事を始める。その後フィレンツェに出てヴェロッキオの工房でレオナルド・ダ・ヴィンチとともに修行し、油彩技術を修得する。1472年フィレンツェの聖ルカ組合の画家として登録され、1481年には法王からシスティーナ礼拝堂のフレスコ画を依頼されるほど有名になっていた。ロッセリ、ギルランダイオ、ボッティチェリらとともに仕事にあたり、ピントリッキオを助手として完成させた「聖ペトロの天国の鍵の授与」で名声を確立した。この頃の作品は広大な風景を構図として用いる事に注目された。その他彼の多くの作品に見られる特徴としては、前面に人物を描き、ゆったりした空間をとって立体感を出す方法があげられる。しかし1500年以降のペルジーノの作品は精彩を欠き、1506年には時代に取り残されペルージアに引退してしまう。ラファエロの死後その未完の作品を完成させた後、この地で亡くなった。

    ラファエロ(1483-1520)は画家のジョヴァンニ・サンティの息子としてウルビーノに生まれる。彼が11歳の時に父親が亡くなり、本格的な画家の修行は15歳でペルジーノの工房に入ってからであったと思われる。1504年にはすでに師の教えはすべて身につけ、フィレンツェへ赴き、ちょうど帰国していたレオナルド・ダ・ヴィンチや「ダビデ」の制作を完成したばかりのミケランジェロからも影響を受けているだろう。ローマに赴く1508年までの数年間、ラファエロはフィレンツェを中心にペルージア、ウルビーノ、シエナ、アッシジなどに作品を残している。ここペルージアではサン・セヴェーロ教会の隣にある礼拝堂に壁画が残されている。ラファエロは上半分の壁画を完成しローマへと行ってしまう。残った下半分の壁画はラファエロが37歳で夭折した翌年にペルジーノが完成させた。


    大聖堂 Duomo

    ロマネスク様式の教会の跡に、1354年から1490年にかけてゴシック様式で建てられた。部分的に白とピンクの大理石で覆われているがほとんどが仕上げが施されていない未完のまま終わっている。
    11月4日広場に面したところにペルージアで最初のルネッサンス建築といわれる、フォルテブラッチョの開廊のアーチが見える。右隣には大きなブロンズ製のユリウス3世像が人々に祝福を与えている。
    内部に入ると八角形の柱が並ぶ3廊式で、3廊とも高さが同じである。様々な時代と様式の装飾が施されている。

    1.サンタネッロ礼拝堂
     Cappella di S.Anello
    ここの祭壇には「聖母マリアの結婚指輪」が聖遺物として奉られている。(毎年7月30日に公開される)
    かつては祭壇にペルジーノの「マリアの結婚」が置かれていた。今はフランスのカーン美術館に所蔵されていてここにはないが、同じ頃描かれたラファエロの「マリアの結婚」(ミラノのブレラ美術館に所蔵されている)と大変似ており、ペルジーノとラファエロの師弟関係を研究する手がかりともなっている。

    2.サン・ベルナルディーノ礼拝堂
      Cappella de S. Bernardino da Siena
    16世紀に描かれたフェデリーコ・バロッチの「キリストの降下」が祭壇画として飾られている。この礼拝堂を所有していた商人組合によって依頼されたもの。礼拝堂の名はシエナの聖フランチェスコ会の修道士であったベルナルディーノに由来する。彼はペルージアをたびたび訪れ、情熱的な説教で人々を魅了した。1444年に亡くなり、その6年後には早くも聖人に聖別された。彼を記念して1457年にサン・ベルナルディーノ教会が旧市街の西よりの所に建てられた。
    フェデリーコ・バロッチはラファエロと同じウルビーノ出身の画家でラファエロやティツィアーノ、コレッジョなどの画風を取り入れて、この作品に見られるような、激しい感情を直接に表現するマニエリスムからバロック様式の絵画を描き、成功を収めている。

    3.後陣は聖歌隊席になっている。ジュリアーノ・ダ・マイアーノとドメニコ・デル・タッソによる15世紀に作られた彫刻と象眼細工による合唱隊席がある。

    4.十字架の礼拝堂 Cappella del Crocifisso
    16世紀に作られた木彫りの十字架像が奉られている。



    エトルリア門 Arco Etrusco <別名アウグストゥスの門 Arco d'Auguto>

    ドゥオーモの北側にあるダンティ広場からVia U. Rocchi を下っていくと、暗いトンネルのようなアーチの向こうに1921年に設立された外国人大学の建物が見える。大学の前にあるフォルテブラッチ広場から今通ってきたトンネルのようなアーチを振り返ってみよう。
    BC3-2世紀のエトルリア時代に作られた巨大な城門で、半円形のアーチでくり抜いた城門の両側では2基の高い塔が守りを固めている。向かって左の塔の上に乗せられた柱廊部分は16世紀ルネッサンス時代のもの。アーチの上の部分にはBC40年にローマ人によって修復されたときにアウグストゥス帝を記念して刻まれた Augusuta Perugia の文字が見える。

    国立ウンブリア考古学博物館 Museo Archeologico

    サン・ドメニコ教会の旧修道院を利用して1962年に設立された博物館。先史時代部門では旧石器時代から青銅器、鉄器時代までのウンブリア、トスカーナ、マルケ、アブルッツォから発掘された品が展示されている。この博物館で最も重要なのはエトルリア・ローマ時代の出土品で、ペルージア周辺から発掘された貴重な考古学的資料が展示されている。