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観光スポット
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チステルナ広場 Piazza del Cisterna
城門から坂道を上り、町の中心に近づくとドゥーモ広場手前にある広場。魚の背骨状に煉瓦を敷き詰めた三角形の形をしている。井戸が広場中央にあることから井戸(チステルナ)の広場と呼ばれる。井戸の所まで行き歩いてきたサン・ジョヴァンニ通りや周囲の建物等を簡単に案内しよう。
私たちは今13世紀に造られたサン・ジョヴァンニ門からサンジョヴァンニ通りを歩いてきた。サンジミニャーノの町は13世紀初頭に築かれた全長217mの城壁で囲まれている。そこに今通ってきたサン・ジョヴァンニの門を含め9つの城門が残されている。(観光の後は各自で今来た道を駐車場まで戻ることになる。)サン・ジョヴァンニ通りはローマとロンバルディア地方そしてその先のフランスへと続く道、フランチジェーナ街道の一部だったところだ。通りの左右に色々な商店が並んでいたが、この辺りの名産品、松露トリフ(TARUTUFFO)を使ったものやイノシシ肉などで造られたハム類、ミケランジェロも好んだと言われる辛口の白ワイン、ヴェルナッチャ(VERNACCIA)などが売られているのを目にする。
サン・ジミニャーノの町はおよそ1000年頃に、この広場と隣のドゥーモ広場を中心に形成された。フランチジェーナ街道がここでピサーナ街道と合流しており、町は通商路として発展していった。旅人はここで休息をとり、馬を交換したそうだ。この広場は当初は町の多くの食堂がここに軒を並べていたところから、タベルナ広場と呼ばれていた。現在は1237年に造られた井戸があることから、チステルナ広場と呼ばれている。井戸の水は地下の貯水池から汲み上げられ、戦前まで実際に使われていた。サン・ジミニャーノの様な丘の上の都市にはこのような井戸が夏場や敵に包囲された時のために、必要不可欠のものだった。
広場の周囲を取り囲む黄色い石灰造りの塔や館は13世紀から14世紀の町の全盛期に建てられたもので、昔塔だった所が建物に直されている姿なども見られる。昔も今も町の中心となる広場である。
ドゥオーモ広場 Piazza del Duomo
チステルナ広場の北西に接している広場。周囲をドゥーモ、ポポロ宮殿、7つの塔などによって囲まれている。広場にて周辺の建物について説明し、ドゥーモ内部に入場する。
正面に見えるのがドゥオーモ(参事会教会)、左手に建つのがポポロ宮殿。町の宗教と政治の中心となる建物だ。ポポロ宮殿には町で一番高い塔、torre
Grossa 54mがそびえる。1311年に造られたもので有料だが上に登ることができる。(教会内部の観光後フリータイムを取るのでご希望の方は登ってみて下さい。)広場を囲む建物はやはり町の全盛期である13世紀から14世紀にかけて建てられたもので、広場を囲むように現在町に残る14本の塔の内7本が集まっている。11世紀から13世紀にかけて、中世イタリアのトスカーナ地方で発達した塔の建造物は、都市国家の時代や1つの町が「皇帝派」と「法王派」に分かれて争った内戦の時代に、攻めてくる敵を見張るのにも、上から攻めるのにも都合がよかった。有事の時には塔と塔の間に橋を渡し一族のものが集結することができた。現在でも塔にはこの時架けた橋げたを差し込むための穴が残されている。敵の頭上からは熱湯や煮えたぎる油、大きな石などを投げつけ上から矢を放ち防戦した。当初はこのように防御と住宅を兼用するものだったが、12世紀頃から塔は同時に権力の象徴となってくる。全盛時代のサン・ジミニャーノの町には72本もの塔が林立していた。
サン・ジミニャーノは13世紀の初めには皇帝に忠誠を誓い、ギベリン派を唱えていたが、13世紀後半に法王を支持するグエルフィとなり、当時同じ法王派だったフィレンツェからダンテが大使として派遣されている。ポポロ宮殿にはこの時ダンテが講義をしたという部屋が残されている。
ドゥオーモ Duomo (参事会教会 Collegiata)
| 4月〜9月 |
9時30分〜12時30分 15時〜18時 |
| 10月〜3月 |
9時30分〜12時30分 14時30分〜17時30分 |
正式にはコッレジアータ(参事会)教会だが町の人々は一般にドゥオーモと呼ぶ。
| ドゥオーモ |
司教座を持つ教会 |
| コッレジアータ教会 |
コレッジオ<参事会>を司教座聖堂と同じように持つ教会で普通の教会よりは格が高い |
この教会は1148年に法王エウゲニウス3世の手で「被昇天の聖母マリア」に捧げられたものだ。12世紀ロマネスク様式の質素な外観とは対照的に、内部はフレスコ画でうめつくされ全体が美術館のような壁画空間となっている。建物は15世紀にジュリアーノ・ダー・マイアーノによる増築が、19世紀にファサード(正面)の改修が行われている。
聖堂内部
内部は14本の太い柱によって3廊式に分けられ、アーチの部分には白と濃い緑の縞目模様が施されている。
「聖女フィーナの礼拝堂」
Cappella di Santa Fina
(9:30-12:30 15-17:30)
聖女フィーナは公式に認められたことはないが、サン・ジミニャーノの聖人として町の人々に崇められている。1238年にサン・ジミニャーノで生まれ、幼くして父を亡くす。10才の頃に大病を患い寝たきりの生活になる。それでも病床で貧しい人々のために着物を縫ったりして尽くした。それもできなくなる程病気が進むと、粗末な板の上に寝て、キリストの苦しみに近づこうとした。母も亡くなり、全身不随で病床にある彼女をネズミが襲う。フィーナは苦しみに耐え、常に人々への慈愛の心を忘れなかった。5年間寝たきりの生活を送り15才という若さでこの世を去った。亡くなる前には彼女の信仰する聖グレゴリウスが夢に現れ、自分が死んだ3月12日に彼女が亡くなることを予告したという。フィーナが亡くなると町中の教会の鐘が自然に鳴り出し、その死の床にはスミレの花が咲きほころんだという。亡くなった後も何世紀にも渡り奇跡を起こしてきた。今でも命日の3月12日頃になると黄色のスミレの花が聖フィーナのシンボルとして町のあちらこちらに咲き乱れるという。
「聖女フィーナの礼拝堂」にはギルランダイオと彼の弟子達によるフレスコ画が描かれている。向かって右手の作品は「聖女フィーナに死の告知をする聖グレゴリウス」が描かれており部屋の中央に浮かぶ聖グレゴリウスは彼女の死が3月12日であることを予告している。板の上に横たわる聖女の下には黄色のスミレが咲き、部屋の奥に描かれている木のベンチの下にはネズミがいる。部屋の中を透視図法で描きあげ、物語を語りかけるかのように聖女のエピソードを表している。
左手の作品は「聖女フィーナの葬儀」の様子が描かれており、葬儀の最中に起きた数々の奇跡が描かれている。聖歌隊の中の盲目の少年の目が開き、看護人の不自由な手が癒された場面である。背後にはギルランダイオの時代のサン・ジミニャーノの町が描かれている。塔の間には天使が飛び交い教会の鐘を鳴り響かせている。左側の司祭と聖歌隊の影に立つ赤い帽子を被った4人の人物はギルランダイオとその弟子達の自画像と言われている。
これらの作品はギルランダイオが円熟期に入ってゆく最初の作品で、彼の代表作としてあげられるフィレンツェのサンタ・トリニタ教会サセッティ礼拝堂やサンタ・マリア・ノヴェッラ教会壁画の制作より10年ほど前のことである。
ポポロ宮殿 Palazzo del Popolo
| 市立美術館<Pinacoteca
Civica>・塔 |
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4月〜9月
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9時30分〜19時30
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月曜休館
有料 |
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10月〜3月
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9時30分〜17時30
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13〜14世紀に建てられた、サン・ジミニャーノの政庁舎。付属の塔はトーレ・グロッサ(Torre
Grossa) 54mで、町でもっとも高い塔である。現在3階(日本式の4階)に市立美術館が置かれており、塔には美術館との共通チケットで登ることができる。
<中庭を通って2階に上がると、1300年にダンテがこの町に大使として赴任し、法王派の結束を呼びかけて講義をしたという広間「Sala di
Dante」がある。この部屋にはリッポ・メンミによる「諸聖人に囲まれた玉座の聖母」という題の大きな壁画が描かれている。これはシエナのプブリコ宮殿にシモーネ・マルティーニが描いたものの写しである。さらに上の階には12世紀から15世紀にかけてのシエナ派やフィレンツェ派の絵画が多く展示されている。中でも有名な作品は下記の通り。>
| 第1室 |
・フィリピーノ・リッピ「受胎告知」(1483)2枚で一対の丸い絵
・コッポ・ディ・マルコヴァルド「十字架像」(1260年代)
・ベノッツォ・ゴッツォリ「玉座の聖母子と諸聖人」(1466)
・ピントゥリッキオ「聖母と二人の聖人」 |
| 第2室 |
・ロレンツォ・ディ・ニッコロ・ジェリーニ
「聖バルトロメオと生涯」(1401)
「聖女フィーナと聖グレゴリウス」(1402) |
| 第3室 |
・グイード・ダ・シエナ「聖母子と諸聖人」(1280)
・タッデオ・ディ・バルトロ「聖ジミニャーノと生涯の8つのエピソード」(1393年頃)
多翼祭壇画でドゥオーモの主祭壇に16世紀まで飾られていた。タッデオ・ディ・バルトロは14世紀から15世紀初頭までサン・ジミニャーノで精力的に活動を続け、作品の中央に描かれている聖人は14世紀当時の町の雛形を手に持っている。 |
塔の頂上からは町の眺望、キャンティ地方の丘陵地帯などの景観が望める。
ポデスタ宮殿 Pallazzo del Podesta
ドゥオーモ広場東側に1239年に建てられた、かつての行政長官邸。広いポーチから始まる強大な塔「ロニャーザ」51mが建つ。個人の塔としては町で一番高く、この塔より高い塔を私的に造ることは禁止されていた。隣は13世紀に建てられたキージ宮殿。
ロッカ Rocca
14世紀半ばに築かれた城塞。サン・ジミニャーノがフィレンツェの支配下に入いるとコジモ1世の命令で取り壊された。現在は城壁の一部と砦の一部分が残されている。1978年に自治体の手により再建され町の景観が眺められる公園となっている。
サンタゴスティーノ教会 St. Agostino
<ドゥオーモ広場からサン・マッテオ通りを北西に歩いて5分くらい。サン・マッテオ通りはサン・ジョヴァンニ通りと同様にフランチジェーナ通りの一部にあたり、両側に中世の頃の建物が並ぶ趣がある通り。通りの終わるところにサン・マッテオの門があるのでそこまで来たら右に曲がり、サンタゴスティーノ広場へと進む。階段の上にサンタゴスティーノ教会がある。>
13世紀後半に建てられたロマネスク・ゴシック様式の教会。レンガづくりの建物で内部は木骨天井をもつ単廊(バジリカ)式。
見所は入ってすぐ右手にあるサン・バルトロ礼拝堂と後陣の合唱隊席。
サン・バルトロ礼拝堂はサン・ジミニャーノ出身で1300年に亡くなった聖バルトロに捧げられた礼拝堂でベネディット・ダ・マイアーノによる大理石の祭壇(1494年)が中央に置かれている。床面には15世紀のマヨルカ焼きのタイルが敷き詰められ、左壁面には1500年にセバスティアーノ・マイナルディによって描かれた3人の聖人(ニコラ、ルチア、ジミニャーノ)のフレスコ画がある。
後陣合唱隊席の周囲には、ベノッツォ・ゴッツォリによるフレスコ画「聖アウグスティヌスの生涯」(1465年)が17の場面で描かれている。
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