シエナ

シエナの守護聖人

聖カテリーナ聖ベルナルディーノ聖アンサヌス


聖カテリーナ Santa Caterina 1347-1380

カテリーナもしくはカタリナと呼ばれるこの聖女は、カテリーナ・ベニンカーサという、シエナの裕福な染物屋の娘だった。彼女はシエナを襲ったペストの流行により兄・姉を失い、人間の苦難について鋭い個人的意識を養っていた。同時代の伝記作者によれば、その幻視体験は7才の時から始まったという。ある日彼女はキリストの花嫁になった夢を見た。カテリーナは信仰に目覚め、それは熱心だった。あまりに熱心すぎるので心配した両親は少しでも気をそらすためにたくさんの家事を言いつけた。だがカテリーナはどんな仕事も苦にせずこなした上、一段と深く信仰に務めた。そしていくつもあった結婚の申し込みを断り1363年にドメニコ会第三会の修道院へ入る。反対していた父親も祈る彼女の頭上に白い鳩がとまっているのを見て許したという逸話が残されている。彼女はつつましい生活と修行の毎日を送った。疫病が流行していた時の事、当時フィレンツェと仲が悪く対抗していたシエナは、フィレンツェの大聖堂以上に大きな大聖堂を造ろうと拡張工事を行っていた。カテリーナはこれを中止させ、その資金を疫病で苦しむ人々のために使った。彼女は自ら看病に全力を尽くし、自分の顔が天然痘であばた面になってしまうほどだった。生涯を貧しい人や病める人の救済に捧げたほか、公的な面では1377年に南フランスのアヴィニョンに法王グレゴリウス11世を訪ね、当時破門されていたフィレンツェの人々のためにとりなしを行い、同時に法王にローマに戻るよう説得する為に謁見した。彼女は法王庁を批判したために裁判にかけられるが、力のない一女性の言い分が認められ法王庁の帰還は実現した。この帰還要求運動中、彼女は苦行に励むあまりご聖体以外の食物を口にせず、自分の小部屋から外出もしないという生活をおくり体が弱っていた。しかし彼女の手紙が発表されるたび、教皇、枢機卿、司教、王侯をふるいあがらせ、宗教界は揺らいだという。
聖カテリーナは1380年33才の短い生涯をローマで終えた。

聖ベルナルディーノと並びシエナの守護聖人であると同時に、聖カテリーナはイタリアの共和国全体を守る守護聖人としても崇められている。

「絵画作品における聖カテリーナ」
シエナの守護聖人としてシエナ派の絵画などにカテリーナを題材にしたものが多く見られる。ドミニコ会の他の聖人(聖ペトルスや聖ドミニクス)などと共に描かれたり、シエナの他の守護聖人である聖アンサヌスや聖ベルナルディーノと共に、あるいは同名の聖女アレクサンドリアのカタリナと一緒に描かれたりすることもある。

  • 白の内衣とベールの上に黒いマントをはおったドミニコ会第三会の服装をし、十字架と純潔の象徴である百合を手に持ち、足で悪魔を踏みつけている。
  • その著述活動を表して書物を持ったり、彼女は晩年まで文盲であったため、筆記者に向かって口述している場面などを描いたもの。
  • ドミニコ会の創始者聖ドミニクスとゆかりの深いロザリオを手に持つ。
  • 「キリストとの結婚」
    アレクサンドリアの聖女カタリナ(カテリーナ)のエピソードに影響されたものであろうといわれる。アレクサンドリアのカタリナとの区別はその衣装とベールを見ると良い。構図としては聖母の膝に抱かれた幼子キリストか、聖母の横に立つ成人のキリストから指輪を受け取っている。
  • 「アヴィニョンにおける法王との謁見」
    フィレンツェのために法王の前で嘆願する場面、法王庁の人々に囲まれて法王の馬をひいて町の外に出る場面など。
  • 「聖痕」
    1375年カテリーナがピサのサンタ・クリスティーナ聖堂の礼拝堂で祈っていると、十字架のキリストの両手両足、脇腹の5つの傷から光線が彼女の体に降るという幻視を見た。彼女を表す絵画にはこの聖痕が描かれているものが多い。
  • 「黄金の冠と茨の冠」
    キリストがカテリーナに茨の冠と宝石のついた黄金の冠を見せてどちらを取るか聞く。カテリーナはキリストの前にひざまづき茨の冠を選ぶ。彫刻などではこの冠を手に持っていることもある。
  • 「モンテプルチャーノの聖女アグネスの墓への巡礼」
    聖女アグネスは1317年に亡くなったドミニコ会の修道女で、彼女を尊敬していたカテリーナはその墓を訪れる。カテリーナが遺骸の足に口づけをしようとするとその足が自然に持ち上がりカテリーナの唇に触れたという言い伝えが残されている。

  • 聖ベルナルディーノ Berunardino 1380-1444

    ピサの近くにあるマッサ・ディ・カッラーラに生まれた。若い頃には法律を学び、シエナに伝染病が流行した時にはシエナの病院で病人の救済のために働いた。1402年にフランシスコ会に入り修道士となる。その説教の優れていることで国中で名声を得た。彼は民衆に説教をする際「イエス」のギリシャ語を短くした「IHS」という銘板をかかげ神の象徴として表した。ナポリに説教に向かう途中アクィラ・デリ・アブルッツィで亡くなり、没後すぐに聖人として列聖された。

    「絵画作品における聖ベルナルディーノ」

  • 通常フランシスコ会の修道服を着て、痩せ衰えた老人の姿で描かれる。
  • 持ち物として「IHS」という文字が刻まれた銘板(円板のこともあり周囲には炎の輪が描かれる)や、シエナの守護聖人として描かれる場合には町の雛形を持つこともある。
  • 足下に3つの司教冠が置かれていることもある。これは彼が3回司教の職を辞したためである。

  • 聖アンサヌス Ansanus

    皇帝崇拝を強要しキリスト教徒を大迫害(303年)したディオクレティアヌス帝の時代に殉教した聖人。
    シエナの貴族で12才の時に入信し、若くして信仰を説いた。父親の告発により皇帝ディオクレティアヌス帝に渡され20才という若さで殉教した。煮えたぎる油の中に投げ入れられてから処刑されたという伝説により、火にかかった油の大釜の中に立っている場面などが彼を題材とした絵画に見られる。



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