シエナ


観光スポット


ドゥオーモ Duomo

ミネルヴァ神殿の跡に9世紀頃最初の教会が建てられ、その後次々と増改築が行われた。大聖堂は12世紀になって古い聖堂の跡に建築が開始され、1264年に一応の完成を見た、聖母マリアに捧げられた教会である。イタリアの中であまり宗教色の強くないトスカーナ地方にあって、このシエナは聖母信仰の盛んなところである。政治の中心であるカンポ広場、モンテ・ディ・バンキ通り、チッタ通りとわずか100メートルしか離れていないというのにこの周辺には政治経済関係の建物はおろか、商店さえ一つもなく、宗教と政治経済がはっきりと分離されている。
全体は白大理石で覆われているが、随所にシエナ産の赤い石が配され、側面はプラート産の黒大理石(濃い緑色の蛇紋岩)で縞模様が施されている。

1339年にシエナは大聖堂の規模を世界最大のものにしようという野心に燃えて拡張工事にとりかかる。それは大聖堂の縦軸の部分を横軸に持ってくるという大規模なものだった。技術的に見ても不可能といわれた難工事であったが、疫病、飢饉そして1348年のペストの流行と続き、工事を続行することが不可能となってしまう。現在放置された拡張工事の跡は右翼廊の外に残され、大聖堂付属美術館として使用されている。未完のファサードと側廊の残骸はほとんど形をなしていないにも関わらず、シエナの人々が夢見た新聖堂の形を私たちに想像させる。新聖堂の建設を断念したシエナの人々はその情熱を今度は聖堂内部を数々の美術作品で飾ることに向ける、床の装飾をはじめとして、シエナのドゥオーモは世界に類のない豊かさと密度の濃いものとなっていく。

ファサード(正面)
1285年頃、ニコラ・ピサーノの息子、ジョバンニによって着手された。下部はジョヴァンニ自身が設計及び大理石彫刻も手がけたものとされている。ロマネスク様式をとどめる動的なデザインは柱に彫刻された聖人像を見ても表情豊かであるが、現在見られるものはコピーでオリジナルはドゥオーモ美術館に収められている。ドゥオーモ自体の拡張計画が伴い、その後様々な問題が発生し、上部が完成したのは14世紀末でジョヴァンニ・ディ・チェッコの監督下においてであった。チェッコはオルヴィエートの華麗なゴシック様式の大聖堂に触発され、中心にバラ窓と三つの尖塔を加えた。イタリアのゴシック様式は垂直線を強調する北方ゴシックとは違い、水平線をも強調するため、その総合としてこのファサードには三角形が多用され、不動で上に向かう盛期ゴシック様式となった。このためジョヴァンニ・ピサーノ製作の下部を上部が押さえるような形になってしまい、調和のとれないものになってしまった。<これを調和のとれないものと見るかあるいは、ゴシックの垂直線に対して下部の黒大理石による横縞が調和のとれた水平性を表し落ち着いた雰囲気を出していると見るか、意見は様々である。明らかなのは上と下で様式の違っていることがよく分かること。>三つの尖塔部分の三角形にはモザイクで、それぞれ「聖母の戴冠」「聖母誕生」「聖母の宮参り」が施されている。
ファサードに向かって右手には円柱の上にシエナのシンボルである「ルーパ・セネーゼ」の像が置かれている。
鐘楼は1313年のものでロマネスク様式のものである。

聖堂内部
<何を説明するかはその時のガイドさんにより多少異なるが通常、説教壇と中央祭壇、床面装飾などの説明が行われる>
内部全体にわたり、白と黒の大理石を使った縞模様のモチーフが明暗法の効果を、又たくさんの石柱が遠近法の効果を強調している。

聖水盤
シエナ出身の彫刻家で建築家であったアントーニオ・フェデリギによって作られた。彼はオルヴィエートのドゥオーモの建築監督を1451年から56年まで務め、その後シエナに戻り亡くなるまでここで建築監督を務めた。この聖水盤は1462-63年に作られたもので、盤を支える人体像が大変力強く表現されている。

説教壇 pulpito
1266年から68年に、ニコラ・ピサーノが息子のジョヴァンニ・ピサーノやアルノルフォ・ディ・カンビオなどの弟子達と共に制作したもの。八角形の説教壇は9本の大理石の円柱によって支えられており、外側の円柱には4体のライオン像がその足台を飾っている。中央の円柱の足台には8体の寓意像が彫られている。浅浮き彫りのパネル部分にはキリストの物語が鋭い彫りで生き生きと描かれている。全体で人物像は307体、動物像は70体に及ぶ。この説教壇より以前(1260年)にピサの洗礼堂にニコラ・ピサーノによって作られた説教壇と比較しても、その表現がより激しく、たとえばキリストの磔刑の場面では十字架をY字型に表し、その苦悩を強調している。ジョヴァンニ・ピサーノはこの傾向を受け継ぎ、後にピストイアのサンタンドレア教会、ピサの大聖堂(1302-11)に説教壇を制作している。

中央祭壇
中央祭壇の上には1467年から72年にかけてヴェッキエッタが、サンタ・マリア・デッラ・スカラ病院のために制作した聖体用の祭壇が置かれている。
その両脇にはジョヴァンニ・ディ・ステファノが1489年に制作した2体のブロンズ製天使像の燭台と、その下には「妖精」という愛称で呼ばれる、フランチェスコ・ディ・ジョルジョとジャコモ・コッツァレッリの共同製作によるやはり2体のブロンズ製天使像の燭台が置かれている。

聖歌隊席
中央祭壇の後ろ(後陣)には14〜16世紀に作られた寄せ木細工の聖歌隊席が置かれている。後陣の上部高くにはステンドグラスの円形窓が配置されている。これは1288年に制作され、イタリアで最も古いステンドグラスといわれる。描かれた聖母の物語はドゥッチョの下絵によるものである。

ピッコロ−ミニ図書館(ツアーでは通常入場しない)
1492年教皇ピウス3世がまだ枢機卿だった時代に叔父の教皇ピウス2世の蔵書を収めるために作らせた、ルネッサンス様式の建築。内部壁面にはピウス2世の生涯を表すフレスコ画がピントリッキョによって描かれている。そのほか部屋の中央には「三美神」The Grazie像が置かれ、ケース内には15世紀の聖歌集が展示されている。
図書館の入り口脇にはピッコローミニ家の祭壇がそびえる。大きな祭壇を飾る彫像の中で4体の聖人像(「聖グレゴリウス」「聖パウロ」「聖ペテロ」「聖ピウス」)は若きミケランジェロによって1501〜4年に制作されたものである。これら4作品の内「聖ピウス」と「聖グレゴリウス」は共同製作者の手も加えられており、ミケランジェロの代表作とは呼べないが、他の2体には力強さや鋭い眼差しなどが表現されミケランジェロの力量が伺える。

洗礼者ヨハネ礼拝堂(ツアーでは通常見学しない)

  • 奥にドナテッロによって1457年に作られたブロンズの聖ヨハネ像が置かれている。この時期のドナテッロの作品に見られる厳しい自然主義がよく現れている。
  • アントーニオ・フェデリギの制作した大理石の洗礼盤。1484年頃の作品で創世記の「原罪」や「楽園追放」を主題にした構図が浮き彫りパネルに力強く彫られている。
  • ジョヴァンニ・デ・ステファノによる、聖アンサヌスの彫像。
  • ペトゥローニ枢機教の墓
    ジョヴァンニ・ピサーノの弟子、ティーノ・ディ・カマイーノによるゴシック様式の作品。1317年の作品で、1951年に現状に再構成された。

    キジ礼拝堂(ツアーでは通常見学しない)
    キジ家出身の法王アレキサンデル7世の依頼を受け1659年から62年にかけてベルニーニが設計した礼拝堂。入り口の床面にはキジ家の紋章である6つの山と星が描かれている。大聖堂の中でここだけが17世紀のバロック様式となる。祭壇の両脇にはベルニーニが製作した2体の大理石彫刻「聖ヒエロニムス」と「マグダラのマリア」が置かれている。


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