シエナの概要・歴史


概 要
  • トスカーナ平原の中心に位置し、人口約57.000人、標高322m。トスカーナ州シエナ県の県庁所在地。
    1240年創立のシエナ大学やキジアーナ音楽院などを持つ、学問と芸術の町として知られる。イタリアで一番きれいなイタリア語が話される町と言われ、外国人のためのイタリア語学校もある。
  • シエナ派という独自の芸術スタイルを持ち、絵画ではドゥッチョやシモーネ・マルティーニ、ロレンツェッティ兄弟、彫刻ではカマイーノ、ヤコポ・デッラ・クエルチャなどが活躍した。対立するフィレンツェとはその特徴も著しく異なり、フィレンツェが表現の豊かなルネッサンス期を築いていったのに対し、シエナはより中世的、神秘的な表現を求めるギリシャやビザンチン風なものである。繊細な色彩、微妙な線で描かれるその絵画は気品と厳かさを持ち、その傾向は彫刻や建築にも見られる。
  • 14世紀にはシエナの誇りとする聖人、聖カテリーナと聖ベルナルディーノも出ている。
  • シエナ料理はトスカーナ地方の料理をベースとした、にんにくや香草をふんだんに使った物が多い。シエナの町を取り囲むように広がるトスカーナ州は実り豊かな大農業地帯である。小麦や野菜そしてリンゴやなしなどの果物は勿論、オリーブオイルなどの産地としても知られる。特にオリーブオイルは南イタリアの大産地に匹敵する質と量を誇る。また、トスカーナ州はイタリア20の州の中で1、2を争うほどの肉牛の産地でもある。肉料理はその他イノシシや兎などの名物料理もあり、町中ではサラミやソーセージなどが売られているのを目にするだろう。
  • トスカーナ州はまたワインの一大産地でもある。イタリアは世界最大のワインの生産地で、そのイタリアワインを代表するのが、トスカーナ州のキャンティ地方で生産される赤ワイン、12世紀にはすでにオランダなどヨーロッパの国々に輸出されている。このキャンティ・クラシコを生産する限られた地域の一部はシエナ県に位置している。またイタリアワインの中でも最高品だと言われるブルネッロ・ディ・モンタルチーノは、シエナの近くのモンタルチーノ村で生産される。この赤ワインは木造の大きな樽の中で最低3年間熟成される。その後ビン詰めされたワインは年月を経るごとにまろやかさとコクが増していく赤ワインの絶品だと言われている。
  • もう一つ忘れてならないのが、シエナのお菓子パンフォルテとリティヤレッリである。パンフォルテは強い(日持ちの良い)パンと言う意味で<小麦粉、アーモンド、ヘーゼルナッツ、ココア、香辛料、蜂蜜、フルーツ>を固めて作ったもの。シエナは北ヨーロッパ、北イタリアからのローマへ向かう巡礼の道にあり、巡礼の人たちのためにこの日持ちの良いパン(お菓子)が作られた。町で見かけるものには丸形のものが多いようだが、他に三角形のものもある。白と黒を目にするが、黒い方はシナモンが入っている。リティヤレッリはマジパン(アーモンドの粉)で作った木の葉の形をした小さなお菓子。どちらもイタリアの様々な都市や空港でも売られている。
  • シエナは古くから金融業が盛んで、町の目抜き通りは上の銀行通り(バンキ・ディ・ソプラ)、下の銀行通り(バンキ・ディ・ソット)と言う名が付いており、現在も金融業が盛んである。観光でも訪れるサリンベーニ広場には1472年創立のモンテ・デ・パスキ銀行がある。シエナを代表する銀行で、現在イタリア3大銀行の一つである。
  • シエナはまた世界的に有名な祭りパリオが7月と8月の年2回行われることでも知られている。

  • 歴 史

    その歴史は古く、エトルリアに起源を持つが、文書に記述されたのはアウグストゥスの時代にローマの軍事植民都市となって、セーナ・ユーリア(Sena Julia)と呼ばれてからのことであるが、詳しいことは分かっていない。

    6世紀 シエナが発展のきっかけをつかむのは、6世紀になってからのロンゴバルト王国の時代になってからのことである。ロンゴバルト族はゲルマン大移動の際に最終段階でイタリアに入ってきたゲルマン人でミラノ南方のパヴィアに本拠を定めてロンゴバルト王国をうちたて、8世紀にフランク王国に滅ぼされるまで支配を続ける。ロンゴバルト王国はミラノを中心とするロンバルディア地方からイタリア中部を結ぶ交通路としてシエナを通る街道を作った。この街道はフランチジェーナ街道と呼ばれフランス方面まで続き、フランスとの交易に盛んに使われた。この交易路の要としてシエナは商業、金融業、手工業で発展をとげた。
    8世紀 774年にカール大帝がロンゴバルト王国を征服し、シエナにはフランク王国の官吏が配置された。
    12世紀 12世紀になってシエナは自治都市として独立し、商業や金融業を中心に繁栄する。当時イタリアの各都市は、ドイツ皇帝側につく町ギベリン派とローマ法王側につくグエルフ派に別れ抗争が絶えなかった。法王派であった隣国のフィレンツェに対し皇帝派の町シエナは長く激しい敵対関係にあって、この対立は政治面だけでなく、芸術の分野まで及ぼされる。
    13世紀 1260年9月4日「モンタペルティの戦い」でフィレンツェに対して奇跡的な勝利を収める。シエナでは1287年から1355年まで、「九君主制」(ノーヴェ体制)が発足した。これは30歳以上の職人や銀行家などの裕福な中産階級市民9人を選出し、2ヶ月ごとに職務を交代し町を治めるというもので、この体制の下シエナは全盛時代を迎える。
    シエナ最大の病院サンタ・マリア・デッラ・スカラ病院、カンポ広場、市庁舎など町の見事な建造物の多くはこの時代に作られた。
    金融業、両替などを中心にシエナの経済は著しく発展した。
    14世紀 1348年ペストの大流行で町の半分以上の人口が失われ、それに加えて戦争や内部抗争が続き、シエナの衰退が始まる。
    この町の守護聖人、聖カテリーナ(1347頃〜1380)と聖ベルナルディーノ(1380〜1444)が生まれたのもこの時代である。
    15世紀 サセッタ、ヴェッキエッタ、ジョルジョ・マルティーニ、ディ・ピエトロなどのシエナ絵画の大家が現れ、彫刻ではヤコポ・デラ・クエルチャが出た。
    15世紀後半自治体制が崩壊し、ペトルッツィ家の支配下に置かれる。
    16世紀 1555年フィレンツェとスペインの同盟軍に包囲され降伏。シエナはスペイン王フェリペ2世の領土となり、1559年にメディチ家のトスカーナ公国に編入された。この支配は1805年から1814年のナポレオン時代を除き、1859年にイタリア統一軍へ合併されるまで続く。