| 6世紀 |
シエナが発展のきっかけをつかむのは、6世紀になってからのロンゴバルト王国の時代になってからのことである。ロンゴバルト族はゲルマン大移動の際に最終段階でイタリアに入ってきたゲルマン人でミラノ南方のパヴィアに本拠を定めてロンゴバルト王国をうちたて、8世紀にフランク王国に滅ぼされるまで支配を続ける。ロンゴバルト王国はミラノを中心とするロンバルディア地方からイタリア中部を結ぶ交通路としてシエナを通る街道を作った。この街道はフランチジェーナ街道と呼ばれフランス方面まで続き、フランスとの交易に盛んに使われた。この交易路の要としてシエナは商業、金融業、手工業で発展をとげた。 |
| 8世紀 |
774年にカール大帝がロンゴバルト王国を征服し、シエナにはフランク王国の官吏が配置された。 |
| 12世紀 |
12世紀になってシエナは自治都市として独立し、商業や金融業を中心に繁栄する。当時イタリアの各都市は、ドイツ皇帝側につく町ギベリン派とローマ法王側につくグエルフ派に別れ抗争が絶えなかった。法王派であった隣国のフィレンツェに対し皇帝派の町シエナは長く激しい敵対関係にあって、この対立は政治面だけでなく、芸術の分野まで及ぼされる。 |
| 13世紀 |
1260年9月4日「モンタペルティの戦い」でフィレンツェに対して奇跡的な勝利を収める。シエナでは1287年から1355年まで、「九君主制」(ノーヴェ体制)が発足した。これは30歳以上の職人や銀行家などの裕福な中産階級市民9人を選出し、2ヶ月ごとに職務を交代し町を治めるというもので、この体制の下シエナは全盛時代を迎える。
シエナ最大の病院サンタ・マリア・デッラ・スカラ病院、カンポ広場、市庁舎など町の見事な建造物の多くはこの時代に作られた。
金融業、両替などを中心にシエナの経済は著しく発展した。 |
| 14世紀 |
1348年ペストの大流行で町の半分以上の人口が失われ、それに加えて戦争や内部抗争が続き、シエナの衰退が始まる。
この町の守護聖人、聖カテリーナ(1347頃〜1380)と聖ベルナルディーノ(1380〜1444)が生まれたのもこの時代である。 |
| 15世紀 |
サセッタ、ヴェッキエッタ、ジョルジョ・マルティーニ、ディ・ピエトロなどのシエナ絵画の大家が現れ、彫刻ではヤコポ・デラ・クエルチャが出た。
15世紀後半自治体制が崩壊し、ペトルッツィ家の支配下に置かれる。 |
| 16世紀 |
1555年フィレンツェとスペインの同盟軍に包囲され降伏。シエナはスペイン王フェリペ2世の領土となり、1559年にメディチ家のトスカーナ公国に編入された。この支配は1805年から1814年のナポレオン時代を除き、1859年にイタリア統一軍へ合併されるまで続く。 |