ピークは2月中旬から3月初旬にかけて(復活祭より逆算して毎年変わる) 長いコートに三角帽子をかぶり、バウッタという仮面を付けた世界的に有名な祭り。この時期には世界中から観光客が押し寄せ、ヴェネツィアに宿泊出来ないことがある。 4月25日 サンマルコ寺院ではこの守護聖人の祝典が行われるが、市民の間ではボッコロ(花のつぼみ)という行事が一緒に行われる。この日ヴェネツィアの男性は老いも若きも愛する女性に一輪の赤いバラを贈るのが慣わしとなっている。その由来は、<ドージェの娘に恋をした下級貴族の若者が、その誠意をドージェに示そうとトルコに出征し、致命傷を負ってしまう。純白のバラの繁みに倒れた若者はあたりのバラを血で真っ赤に染め、その一輪を手折って愛する人に届けるように託し戦死した>というもの。 復活祭の40日後の木曜日 ヴェネツィアで伝統的な「海との結婚」Io Sposalizio del mare を祝祭の主要な行事とする、フェスタ・デッラ・センサ festa della Sensa が催される。サンマルコの岸辺からお召し船(ブチントーロ)に乗ったドージェがリドの海まで行き、金の指輪を海に投げ「海よ。永遠の海洋支配を祈念してヴェネツィアは汝と結婚せり」と唱える。今ではドージェに変わってヴェネツィア市長がこの大役を演じる。現在の市長カッチャーリ氏は1944年生まれのヴェネツィア人で、市長になる前は大学で哲学を教えていた。市民にもジャーナリストにも大変評判がよい人物である。 5月の第1日曜 22年位前から始まったもので歴史はないが、ヴェネツィア人がこぞって参加する祭り。かつてのヴェネツィア人が知り尽くしていたラグーナを見直そうという意味がある。数千艘の小舟と5.000人以上の漕ぎ手が参加するが、この数は年々増えている。サンマルコの岸辺から午前8時30分に大砲の合図で始まる。サン・エラズモ、ブラーノ、マッツェルボなどの島々、ラグーナの北部全域、約32キロを漕いで回る。速い船なら4時間、遅いのになると丸1日を費やしてラグーナでの舟遊びを楽しむ。ヴェネツィアならではのマラソンである。 7月の第3土曜日 レデントーレとはジュデッカ島にある教会の名で、中世の頃ヴェネツィアの貴族達が蒸し暑い夏の夜にゴンドラを繰り出して涼を求めたところである。1576年ペストがヴェネツィアを襲い5万人以上の死者を出した時、この教会はペストからの守護教会とされた。ペストの流行が治まると、それを記念してこの祭りが始まった。この日だけジュデッカ島とザッテレの岸の間に浮き橋が渡され、人々は歩いて島へ渡り、レデントーレ教会を訪れる。 小舟で運河に出た人々は、船の上で伝統的な料理(アヒルのローストと煮込んだいんげん豆、魚をフライにして玉ねぎで煮込んだもの、白ぶどう酒)の夕食会を催す。ジュデッカ運河には光に飾られた小舟があふれる。夜の12時になると一斉に花火が打ち上げられ祭りはピークに達する。明け方に全員がリド島に集合し、小舟から朝日を眺めるというもの。 8月15日(聖母被昇天) トルッチェロ島にあるアッスンタ大聖堂で伝統的なコンサートが催される。 9月第1日曜日。不思議とこの日はいつも晴天に恵まれる。 共和国時代の栄光を偲ばせる一大パレード。華麗な民族衣装による水上パレードの後にゴンドラレースが行われる。観戦する為の席が設けられるが、当日券も販売される。橋の上からの無料の観戦も可能。 水上パレードは1489年のキプロス領有を記念するもの。東地中海要衝の地キプロスに関心をもっていたヴェネツィアは、キプロス王ジャコモ2世の妃にヴェネツィアの娘カテリーナ・コルナーロという美女を送り込み、結婚に際し、ジャコモ2世に後継者が生まれない時にはキプロスをヴェネツィアに譲り渡すという約束を取り付ける。二人の間に生まれた皇太子はジャコモ3世となるがすぐに他界してしまう。後を継いで女帝として立ったカテリーナはヴェネツィアの要求を15年に渡って拒否する。しかし1489年ヴェネツィアの圧力に屈して退位し、以後82年間キプロスはヴェネツィアの支配下に入ることになる。退位したカテリーナを迎える儀式がこのパレードの起源となっている。 ゴンドラレースは更に古く942年の1月31日の事件に基づく。この日カステッロにある教会で12組の結婚式が同時に行われた。このめでたいお祝いの最中に、当時アドリア海で暴れていた海賊ナレンターニの襲撃を受け財宝もろとも花嫁も奪われてしまう。すぐさま舟で追跡したヴェネツィア人は激戦の結果、双方を奪い返すことに成功した。このときの追跡の模様が祭りの中に取り入れられた。 華麗に塗り分けられ、金色の飾りを付けた小舟の群が午後2時半、サンマルコの入り江からパレードを開始する。共和国時代にタイムトリップしたような錯覚に陥る。ゴンドラレースの方はサンタエレナを出発し大運河を抜けてサンタルチア駅まで行きカ・フォスカリの前まで競漕する。参加する舟にはいろいろな種類があり、6本の櫂をもつカオルリーナ、漕ぎ手が女性のドンネ、ゴンドラより小さくて軽いゴンドリーニ、それらが昔ながらに色分けされて漕ぎ競う。4等までは賞金が与えられ、最下位には生きた子豚が与えられる。 11月21日 サンタ・マリア・デラ・サルーテ教会に渡るため、この日だけ大運河に浮き橋が渡される。人々はロウソクを手にサルーテ教会に健康を祈りお参りする。この教会は1630年にペストの終焉を祈って建てられた、聖母マリアに捧げられた教会。聖母マリア奉献祭は1681年から続いており、サンマルコ寺院から出発した行列が仮設の橋の上を渡ってサルーテ教会までやってくる。 奇数年の6月下旬から9月末まで キャステロ公園(Giardini di Castello)を中心に連続して行われる視覚芸術展。 毎年8月末から9月初め カンヌ映画祭と並び世界でも権威ある映画祭。1932年にムッソリーニの肝いりで始められた。リド島のシネマ宮(Palazzo del Cinema)を主会場として行われる。最優秀作品(グランプリ)には金のサンマルコ獅子賞、男優賞、女優賞監督賞には銀、銅のサンマルコ獅子賞与えられる。日本映画は1951年に黒澤明監督の「羅生門」、1958年に稲垣浩監督の「無法松の一生」、そして1997年には北野武監督の「HANA-BI」が受賞した。 9月初旬にドゥカーレ宮殿を舞台に行われる文学賞。 1997年9/12,13,14,16,17,18 ハルカ モニュシュコ作曲(ワルシャワ国立劇場公演) 1997年11/24,26,27 パドヴァ ヴェルディ劇場にて「I Quattro Rusteghi」 200年の伝統を誇るフェニーチェ劇場は、1996年1月29日に内部焼失し、外壁を残す無惨な姿となってしまった。フェニーチェ劇場は過去に何度も焼失しては、その名のとおり不死鳥のごとく蘇っている。今回も世界中からの募金が集まり再建へと向かっている。募金は現在も受け付けられており、フェニーチェ劇場前の広場などでは市の作った特設のコーナーが設けられ、1万リラ程度の寄付金と交換にTシャツやピンなどを買うシステムとなっている。その他直接銀行に寄付金を送るシステムもある。
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