観光スポット




サンマルコ広場 
Piazza Di San Marco

広場の形は奥行きが175m、幅80mで、サンマルコ寺院に向かって広がる台形の形をしている。この先つぼまりの形は見る者に実際以上の奥行きを感じさせる。9世紀頃ここに広場ができたと言われるが、11世紀頃まで広場は水路で2つに分けられていた。今のような形になったのは12世紀のことで、そのころから共和国の中心として、祝祭や娯楽の催し、政治的行事の舞台となっている。またこの広場は海抜0.7mに位置し、ヴェネツィアで一番低いところにあると言われる。そのためアクア・アルタと呼ばれる高潮の時、しばしば冠水する。アクア・アルタは10月から4月にかけてよく起こるこの地方独特の現象である。高潮、気圧の変化、風の動きという自然現象が重なって起こるもので、ラグーナの3カ所の入口から海水が入ってくる。このアクア・アルタと地盤沈下による建物への影響は現代のヴェネツィアが抱える大きな問題となっている。サンマルコ寺院やドゥカーレ宮殿の前辺りに高さ40センチ位の足場が積み重ねられていて、水がでたときにはこれらがつなぎ合わされて人々の通路となる。

行政館 Procuratie
サンマルコ寺院を背にして右側の建物は、ヴェネツィア共和国の政治を担当した財務官達の住まいと事務所として使われた建物で12世紀に建てられたものが火災に遭い、16世紀に建て直されたもの。財務官の仕事が増え建物が手狭になったため、向かい側に新しい建物が建てられた。サンマルコ寺院を背にして左側の建物が16世紀後半から17世紀にかけて建てられたその新行政館である。
ナポレオン翼 Ala Napoleonica
広場の奥手をふさぐ建物はナポレオン翼と呼ばれ19世紀にナポレオンの命令で大舞踏ホールとして建てられた。最上階にはナポレオンの栄光を称える浅浮き彫りのレリーフや、ローマ皇帝達の彫像が飾られている。
カフェ Caffe Florian, Caffe Quadri
左手の新行政館の下に、1720年に開店し今に続くカフェ・フローリアンがある。コーヒーは17世紀初めに中東からヴェネツィアに持ち込まれヨーロッパに広まったと言われ、最初のカフェはここサンマルコ広場に17世紀後半に開かれた。数年の間に瞬く間にその数は増え、サンマルコ広場だけでも24のカフェがあった。カフェは人々の生活に欠かせないものとなり、職種や好みによっていきつけのカフェができ、グループごとのたまり場となり、賭事が行われたり、逢い引きの場所として娼婦も出入りしたために18世紀中頃には政府によって女性の出入りが禁じられた時代もあった。カフェ・フローリアンは開店当初から優雅なカフェとして上流階級の人気を集め、トーマス・マン、ジャン・コクトー、リルケ、スタンダール、ワーグナーなどがその常連として名を連ねる。向かい側にはやはり古い歴史を誇るカフェ・クワァードリがある。ここの常連にはシベリウス、ディケンズ、バルザック、メルヴィルなどがあげられる。19世紀の末には持病の喘息に悩むマルセル・プルートスがカフェ・クワァードリを訪れその時の印象を長編小説「失われた時を求めて」の中に書いている。どちらのカフェも夏には広場に椅子を並べクラシックの生演奏が楽しめる。
<観光名所のようになってしまい、料金は町のバールの2.3倍、テーブルチャージ(音楽代)が一人5.000リラ位かかる。歩き疲れてお茶を飲みたい時に利用してもらおう>

時計塔 Torre dell'Orologio
旧行政館の寺院よりのところに立つ時計塔は、15世紀に設計されたもの。時計塔のアーチの下からはリアルト橋へと続くヴェネツィアの繁華街メルチェリーア通りが続く。アーチの上にある大きな金時計は時刻、太陽、月、星座の動きを示している。その上に置かれた聖母子像の横に、ローマ数字で時刻を、アラビア数字で5分ごとの時が表されるデジタル時計がある。最上階にはヴェネツィアの守護聖人サンマルコを表す翼の生えたライオンと、その上にムーア人と呼ばれるブロンズ像が建っている。時計と機械仕掛けで連動している2体の像は500年もの間、毎時槌を振り上げて時を知らせている。
鐘楼 Campanile
高さ98mの鐘楼は9世紀末に船だまりの防備と通報を兼ねた見張り台として建てられた。増築を繰り返し16世紀の初めに現在のような形になったが、今世紀の初めに突然崩れ落ちてしまった。幸い寺院への被害もけが人もなく、10年後にもとの形に再建された。先頭のてっぺんには金色の大天使ガブリエルを型どった風見鶏が付けられている。
<鐘楼の上にはエレベーターで登ることができ、上からは市内とラグーナのすばらしいパノラマが楽しめる>




サンマルコ寺院 Basilica San Marco
グループと一般の入場口は別。教会内部は説明ができないので入場前にガイドさんの説明を聞く>

9世紀初め二人の商人がアレキサンドリアから持ち帰った聖マルコの遺体を収めるために建てられた。聖マルコは新訳聖書の4つの福音の一つを書いた聖人としても位の高い人で、聖マルコの遺体を得たことでヴェネツィアはビザンチン帝国に依存しない独立した国家としての精神的な基盤を確立することができた。最初の建物は火災で焼け落ち、今残るのは11世紀半ばに建設されたもの。中心の大きなドームを4つのドームで囲むギリシャ十字の構造はビザンチン様式の建築様式である。テラスの中央には4頭の馬の像が見える。13世紀初めに第4字十字軍の戦利品としてコンスタンチノープルから持ち帰ったもので、18世紀末にナポレオンによって一時パリに持ち去られ、ルーヴル宮殿前のカルーゼルの凱旋門の上に飾られていた。今にも飛び上がりそうな馬の姿は、ヴェネツィア共和国市民の自由の象徴でもあったから、持ち去られた時は大きな抗議の声があがったそうだ。ナポレオンの失脚後馬の像は返却されたが、ヴェネツィアは独立の自由を得ることもなく、オーストリアの支配下に置かれてしまう。テラスに置かれているのは複製で、オリジナルは寺院内2階の博物館(正面入口を入り右手の階段を上ったところ)に置かれている。


寺院内部
奥行き77m、幅52mと大聖堂としてはそれほど大きくないが、色鮮やかなモザイクを張りめぐらし内部空間に無限の広がりを感じさせる。床や壁面に施されているモザイクは4.250平方メートルにも及ぶ。壁や天井部分に使われているモザイクはガラスに金箔を張り付けたもの、床は地盤沈下のために波打っているところもあるが、やはり一面に大理石のモザイクがはめ込まれている。
中央祭壇には聖マルコの聖体が収められていた大理石の棺が安置され、その裏手にパラ・ドーロと呼ばれる黄金の衝立が置かれている。ツアーでは通常見学しないが、このパラ・ドーロはコンスタンチノープルから戦利品として持ち帰ったものに、真珠、サファイア、エメラルドなど3.000あまりの宝石と七宝で装飾を加えたもので、ヴェネツィアを占領したナポレオンもあまりの豪華さにすべてが本物とは思わずそのまま手を触れなかったそうだ。有料だが宝物館と共通の入場券で見学できる。



ドゥカーレ宮殿 Palazzo Ducale

ヴェネツィアの最高権力者である「ドージェ」が執務を行い、また住居として使用した建物。サンマルコ寺院のすぐ横にある布告門Porta della Cartaから中に入る。ガイドさんがチケットを購入している間、巨人の階段の下で待つ。チケットは一人一人が持ちすぐの入口で係員がもぐ。内部は写真撮影禁止のはずだが、ガイドさんの指示に従おう。ガイドさんの案内で各部屋を一緒に回る。見学は進路に沿っての一方通行で、トイレは見学順路の最後にある。出口はスキアボーニ埠頭側。



溜息の橋 Ponte dei Sospiri

裁判所のあるドゥカーレ宮殿と牢獄とを結ぶ橋。この橋を渡った囚人は2度と外には出られないといわれ、橋の小窓から最後に見る美しいヴェネツィアの姿に、溜息をつくという。
溜息の橋の一つ手前の橋、パリア橋から溜息の橋をバックにお客様の記念写真をお撮りしよう。