| BC1世紀 |
ヴェローナは紀元前1世紀の中頃ローマ帝国に組み込まれる。当時はアディジェ川が大きく蛇行して突き出た部分に町が広がり、北側は川によって、南側は城壁によって封鎖されていた。その城壁に造られた2つの門、ボルサリ門とレオーニ門が現存している。ボルサリ門からエルベ広場に向かって走る道路はローマ時代の東西の幹線道路で、もう1つの門レオーニ門から南北に走る幹線道路とエルベ広場で交差していた。当時の城壁は265年に造り直され、今では城門のみが残されている。 |
| 1世紀 |
北イタリアの交通の要衝として繁栄。円形闘技場(アレーナ)、ピエトラ橋、円形劇場などが造られた。 |
| 3世紀 |
265年ローマ皇帝ガッリエヌスにより城壁が造り直される。ブラ広場辺りからパッローネ通りにかけて、当時の城壁の一部が残されている。 |
| 5.6世紀 |
他の北イタリア諸都市と同様に、東ゴート王国、東ローマ帝国の支配下に置かれる。 |
| 8.9世紀 |
774年フランク王カール大帝がイタリア王を兼ねる。カール大帝の死後フランク王国は3つの地域に分裂するが、ヴェローナはフランク族伯爵領の首都として支配下に置かれる。 |
| 10世紀 |
フランク王国は崩壊し、東フランク王国を継承したドイツ、イタリア、ブルクントの領域に神聖ローマ帝国誕生。 |
| 12世紀 |
1107年にヴェローナはコムーネ(都市国家)を形成。1165年には周辺の都市パドヴァ、ヴィチェンツァ、トレヴィーゾと共にロンバルディア同盟の手本となったヴェローナ都市同盟を結ぶ。これは神聖ローマ帝国皇帝フリードリッヒ1世紀に対し、自治・自衛の権利を守るために結ばれたものである。ロンバルディア都市同盟は1167年に30程の都市が参加し結成された。同盟軍は教皇アレッサンドル3世紀の後援を得て、1176年皇帝軍を破った。これを受けて1183年、コンスタンツの和で皇帝の主権を形式的に認める変わりに、諸都市の自主権を大幅に認めさせた。
商業、手工業が発展し、ヴェローナの全盛時代にはいる。 |
| 13世紀 |
有力貴族の間での勢力争いが激しくなり、皇帝派(ギベリーニ)と教皇派(グエルフィ)の内部抗争となる。ヴェローナはロンバルディア同盟の一員として神聖ローマ皇帝に対抗したが、もともとは皇帝派の都市であった。教皇派として皇帝に自主権を認めさせた後、再び皇帝派に戻っている。
1231年エッツェリーノ・ダ・ロマーノが独裁者として権力を握り、その暴力的支配は彼が死ぬまで30年間続く。
1262年信望の厚いデッラ・スカラ家のマスティーノ1世紀が隊長に選出され市政をゆだねられる。これによりヴェローナは領主制へと移行する。 |
| 14世紀 |
デッラ・スカラ家の統治は1387年まで続きヴェローナの黄金時代をもたらした。特にカングランデ1世紀の時代には繁栄をきわめる。代々の領主により、新しい城壁が築かれ、サン・ゼーノ教会、サンタナスターシア教会、カステル・ヴェッキオ、スカリジェリ廟などが造られた。教皇派の町フィレンツェを追われた皇帝派のダンテも1300年頃にスカラ1世のもと亡命生活を送っている。
1387年ミラノのヴィスコンティ家に攻められ、その支配下に置かれる。 |
15世紀
16世紀 |
1405年ヴェネツィア共和国の支配下に入る。この時期、芸術活動が活発に行われ、ヴェローナ派と呼ばれるピサネッロやヴェロネーゼなどの画家を始め、ヌォーヴァ門、パリオ門やカヴール大通り沿いのヘヴィラックア館、カノッサ館などの建築を手がけたミケーレ・サンミケーリやコンシリオの回廊を作ったフラ・ジョコンドなどが活躍した。 |
| 17世紀 |
1630年ペスト大流行。経済活動と人口が落ち込む。 |
| 18世紀 |
1797年ヴェネツィア共和国終焉。ヴェローナはナポレオンの支配下に置かれる。 |
| 19世紀 |
1801年〜1804年リュネヴィル条約で、アディジェ川上に新たにフランス=オーストリアの境界が築かれ、イタリア共和国のものとなった都市から、オーストリア人の支配が続いた左岸の地区(ヴェロネッタ)が分断された。
1805年〜1814年には都市全体がイタリア王国に併合された。
1814年のウィーン会議により、ヴェネツィア・ロンバルディアはオーストリアの領土となる。これにより1866年までヴェローナはオーストリア帝国の支配下に置かれた。オーストリアは城壁を造り直し二重の要塞を築き、ヴェローナ市民に対して厳しい軍役を課した。 |
| 20世紀 |
第二次世界大戦以降、都市は周辺の町を吸収し、加速度的に発展した。 |