観光スポット


<道路脇にバスを停車させ、道を渡りガーヴィ門の所で古城、橋、門の説明を行う(15分程)。再びバスに乗車しサンピエトロの丘へと向かう。バスは図のようにカヴール大通りを行き、ボルサリ門の手前で左折、19世紀にオーストリア人によって架けられたヴィットリア橋を通りアディジェ川を渡る>

カステル・ヴェッキオ Castelvecchio
デッラ・スカーラ家の住居として、また要塞として、カングランデ2世によって1354年から約20年の歳月をかけて構築された。
6 つの見張り塔と、それらを連結する胸壁とはね橋を備えた典型的な実戦用の城である。狭間をもった城壁で囲まれた内部には練兵所まであって、中庭に残るカングランデ1世の騎馬像は当時の将軍の武装姿がどんなものだったかを表している。町の内側に向かっている部分は、警備や軍事目的に使用され、市街に向かっている部分は領主達の住居として使用された。ヴェローナが周辺の都市と同様にナポレオンの支配下に置かれた時には、この城がナポレオン軍の兵舎として使われた。第1次世界大戦までは常に軍事目的で使われていたが、現在は市立博物館として利用されている。通常ツアーでは外観のみで中には入らない。市立博物館には14世紀〜18世紀のヴェネツィア派やヴェローナ派の絵画、彫刻が収められている。<8時〜18時30分、月曜休み、料金5.000リラ>

スカリジェロ橋 Ponte Scaligero
白い石と赤いレンガの調和が美しい三重橋。城と同じ頃に完成されたが、この橋の目的は向こう岸に渡るというよりも敵に攻め込まれたときに町から逃げるためであったようだ。第2次世界大戦下の1945年に退却するドイツ軍によって爆破されたが、戦後石の断片を川から拾い集め昔ながらの姿に架け直された。

ガーヴィ門 Arco di Gavi
ローマ時代にヴェローナで力を持っていた、ガーヴィ家によって建てられた。当時は公共の場所に建てられていたが、1932年に通行の妨げになるとして、この場所に移された。建設されたのは紀元前1世紀といわれている。門にはその出来映えによほど自信があったのか、建築家の署名が2カ所に彫られている。門の下の道路も門と一緒にこの場所に移されたもので、ローマ時代の荷車のわだちの跡がはっきりと残されている。

カヴール大通り Corso Cavour
ボルサリ門 Pora dei Borsari

通りの両側に端正な邸宅や教会が建つ、ヴェローナの中でもひときわ美しい通り。カノッサ館は1537年に、その先右手の人目を引く建物、ベヴィラックア館は1534年にミケーレ・サンミケーリによって建てられた。サンミケーリは、ヴェローナの主要な建物を手がけた建築家で、画家のピサネッロやヴェロネーゼらと共にヴェローナ派を代表する芸術家である。ベヴィラックア館の向かいにはゴシック様式の柱廊が並び、12世紀に建てられたロマネスク様式のサン・ロレンツォ教会へと続いている。
ボルサリ門は紀元前1世紀のローマ時代に造られた、2つのアーチの上に6個づつ2段に組まれた窓がのっている美しい門である。ヴェローナは紀元前1世紀の中頃ローマ帝国に組み込まれる。当時はアディジェ川が大きく蛇行して突き出た部分に町が広がり、北側は川によって、南側は城壁によって封鎖されていた。その城壁に造られた2つの門の1つがこのボルサリ門である。このボルサリ門からエルベ広場に向かって走る道路はローマ時代の東西の幹線道路で、もう1つの門レオーニ門から南北に走る幹線道路とエルベ広場で交差していた。当時の城壁は265年に造り直され、今では城門のみが残されている。このボルサリ門はローマ時代に町の入口で商品税を徴収した税関吏 bursarii(ブルサリー)の名前から付けられた。



サン・ピエトロの丘 S.Pietro

東ゴート王国をイタリアに成立させ、その王位についたテオドリック(454〜526)はヴェローナをいたく気に入り、サン・ピエトロの丘に城を建てたそうだ。その城は今はもう残されていない。また、ピエトロ橋の向かいにある階段を上っていく、サン・ピエトロ城は14世紀後半のヴィスコンティ家時代とヴェネツィアに支配されていた時代に建てられたもので、やはり眺望がすばらしい。バスで向かうのはそこではなくて、サン・ピエトロの丘にある小さな教会の前の展望台である(名前が分かりません。どなたか教えて下さい)。丘に登る途中アール・ヌーヴォの邸宅が並ぶ高級住宅街を通るが、この町出身でイタリアで人気のある現代の歌手、ジリオラ・チンクエティの家がこの辺りにあるそうだ。オーストリア人によって築かれた城塞が残る丘の上の展望台には、売店(日本語のガイドブックも売っている)、トイレ、BARそして小さな教会がある(教会の中は特に案内しない)。戦争で壊された教会を建て直したもので、建物は爆弾が落ちて見る影もなく破壊されてしまったが、瓦礫の中から無傷のままでてきた聖母マリア像が奇跡のマリア像として奉られている。15分程の写真ストップを取り、ヴェローナの眺望を楽しんでいただき、バスに集合。
<丘から降りる際、アディジェ川にぶつかるとローマ時代に架けられたピエトロ橋が見える。この橋は第2次世界対戦で壊されたものを川の中から石の破片を拾い集め、1959年に復元したもので、5つの半円形のアーチをもつ大変美しい橋である。ピエトロ橋をこえるとすぐ左手にローマ劇場がある。(車窓から)>

ローマ劇場 Teatro Romano

1世紀の初めに造られたローマ時代の劇場跡で、舞台と半円形の観客席が残されている。毎年6月〜8月には<Estate teatrale Veronese>と題したバレエや芝居の上演、ジャズの演奏会などが楽しめる。
劇場に隣接するかつてのサン・ジェロラーモ修道院は現在考古学博物館として使用されており、エトルスク、ギリシャ、ローマ時代のモザイクや彫刻が展示されている。ローマ劇場からエレベーターで上がる事ができ、眺めも良い。<劇場、博物館共に、9時〜15時、月曜休み、料金5.000リラ>



<ポンテ・ヌォーヴァ(もしくはサン・フェルモ・マジョーレ教会の横)でバスを降り、ここから歩いての観光となる

ロミオの家 Casa di Romeo

モンテッキ家の館と伝えられているが、壁にシェークスピアの劇中の言葉が書かれているだけで、それらしい風情は全くなく、公開もされていない。歴史的に見てこの町にモンティーコリという一族は実在したが、1324年にデッラ・スカラ家と対立し町を出ている。建物の上に見られる ←こんな形の飾り(狭間)は皇帝派に属している証で、皇帝派の町であったヴェローナでは、シニョーリ広場を取り囲む政庁の建物など至る所に見られる。

シェークスピアの悲劇「ロミオとジュリエット」の話はヴェローナの敵対する二名門の息子と娘の悲恋物語だが、シェークスピアはイタリアに来たことがなかった。シェークスピアは16世紀前半にルイジ・ダ・ポルトという作家が書いた「二貴族の恋人の物語」もしくはそれを種本にして書かれた、マッテーオ・バンデッロの短編集のいずれかをもとにこの悲劇を書いている。その種本のまたまたもとになっているのが、ダンテの「神曲」煉獄編の第6歌である。皇帝派のダンテは13世紀末のイタリアを荒廃させる皇帝派と教皇派の争いを嘆き、この責任はイタリアをおろそかにする神聖ローマ帝国皇帝にあるとしてこのように詠っている。
「アルプスの北ばかりに夢中になり、帝国の庭を放置して荒らしてしまった。思慮のない人よ、来て見るがよい。モンテッキ、カッペレッティ、モナルディ、フィリッペスキの各家を。」
ダンテは対立する多くの貴族や結社の中から、ヴェローナの皇帝派貴族モンテッキ家、クレモナ市の教皇党員の結社カッペレッティをその代表にあげ、中部イタリアを代表してオルヴィエートのモナルディ家とフィリッペスキ家を選んだ。カッペレッティは教皇派の結社で貴族ではなかった。ロミオの家も、ジュリエットの家もその墓ももちろん本物ではないが、「ロミオとジュリエット」の舞台となった町というイメージをこわさずにその気になって観光しよう。



スカラ家の廟 Arche Scaligere

12世紀に作られたロマネスク様式の小さな教会、サンタ・マリア・アンティーカ教会とデッラ・スカラ家の墓廟がある。墓廟は14世紀に作られた鉄格子で囲まれており内部には入れない。見学は鉄格子の外から眺める形となる。教会の前の小さなスペースで説明しよう。
1260年〜1387年にヴェローナを支配し繁栄させたスカラ家は、自分たちの住居と教会の間に墓地を造った。その墓碑は石棺に横たわる死後の姿と生前の勇ましい騎馬像で表されている。地面に置かれた質素な石棺もスカラ家の人々の墓である。教会の入口の左すぐ脇にはマスティーノ2世の墓。一番目を引くレース編みのような繊細な尖塔で飾られた墓碑はカンシニョリオのもので、ボニータ・ダ・カンピオーネの作。教会の扉口の上には傭兵隊長の騎士の彫像で飾られたカングランデ1世の墓碑がある。石棺、鉄格子などには階段(=スカラ)を型どったスカラ家の紋章が付いている。
ジュネーブの貴族、ブランズウィック卿がヴェローナを訪れた際、この墓廟に感動して自分の墓をこれに倣って造らせている。レマン湖の畔、ホテル・ドゥ・ラ・ペの隣りに立派な墓がある。

シニョーリ広場 Piazza dei Signori

かつてヴェローナの政治の中心であった場所。柱廊でつながっている様々な記念建造物に囲まれ中庭のようになっている。広場中央にあるダンテ記念碑の辺りで建物の説明をしよう。



エルベ広場 Piazza delle Erbe

エルベとは野菜を意味し、かつては野菜だけが売られていたが、今は肉、花、みやげ物屋などの白いテントの屋台も立ち並ぶ、活気ある広場。古代ローマ時代からこの場所に公共市場(フォロ)があったが、当時の広場は地下3.5mのところにあり、掘り起されていない。



ジュリエットの家 Casa di Giulietta

エルベ広場から右手にこの町で一番賑やかなショッピングストリート、マッツィーニ通りがアレーナのあるブラ広場へと続く(500m程)。この通りへ右折せずにカッペロ通りをまっすぐ行くと23番地(左手)にジュリエットの家がある。
中庭の入口のアーチに大理石製の貴族としての紋章、カッペロ(帽子)が残されていることから、カッペレッティの家、ジュリエットの家とされている。中庭へ抜ける道の壁には落書きが見られる。恋人どおしがこの壁に名前を書くとその恋が成就するそうだ。建物は13世紀に建てられたゴシック様式で、有名なバルコニーが付いている。バルコニーの下には、シェークスピアの劇中の台詞が銘板に記されて張られている。バルコニーに出るのは有料となる(8:00-18:30 月曜休み、6.000リラ)。ジュリエットになったつもりで写真を撮ってもらおう。中庭にはヴェローナの彫刻家ネレーオ・コンスタンティーニ作のジュリエットのブロンズ像があり、この像に触ると恋が成就すると言われている。(中庭からも表の通りからも入れる隣のケーキやさんで「ジュリエッタのキス」と呼ばれるお菓子が売られているそうだ)



アレーナ(円形闘技場) Arena

BC1世紀建造。ローマのコロッセオ、ナポリ郊外のカープアの円形劇場に次いで3番目に大きい。
楕円形に広がるアレーナの大きさは建てられた当時長さ152m、幅122mという大きさで、44段の階段席には25.000人の観客を収容できた。現在一番外側の壁は1117年の地震により、左手の4つのアーチの部分を残すのみだが、かつては72のアーチで構成されていた。観客席は3層目が消滅しているが、1層目、2層目はほぼ完全な姿で残っており、保存状態の良さでは、南仏アルル、ニームの円形闘技場と共に並び賞されている。
18世紀には闘牛、喜劇などの催し物、1856年からはオペラ上演、そして1913年に作曲家ヴェルディの生誕100周年を記念して「アイーダ」の初上演が行なわれた。


ブラ広場 Piazza Bra

この町でとれるピンク色の大理石で造られ、新古典主義の市庁舎が広場に面して建てられている。市民憩いの場として中央の噴水を囲むようにベンチなども設置されているので、フリータイムを取ったときなどの再集合場所によい。アレーナ側にはレストランが建ち並び、グループの昼食に利用されるレストランもこの周辺が多いようだ。

サン・ゼーノ ・マッジョーレ教会 San Zeno Maggiore

ヴェローナ市の西、中心から少し離れた所に位置する。4cに亡くなったヴェローナの最初の司教、サン・ゼノの墓の上に9cに建てられた教会が12cの地震で壊れたため、12〜13cに建て直されたもので、イタリアロマネスク建築の傑作といわれている。ヴェローナの守護聖人であるサン・ゼノは、すばらしい説教を残したことで名高く、アフリカ出身だったために、絵画では司教の杖を持った色黒の老人として描かれている。釣りが好きだったという言い伝えから、杖の先に魚がぶら下がっていることもある。
左側に13〜14cの修道院の塔、右側に11〜12cの鐘楼。2つの塔に挟まれたファサード(正面)は象牙色をした凝灰石でできており中央に運命の女神を表した大きなバラ窓(13c)が飾られている。バラ窓の下には柱廊式玄関があり、ブロンズ製の扉には24のパネルに旧約・新約聖書の物語、サン・ゼノとサン・ミケーレの生涯が描かれている。

<教会内への入り口は建物の左裏手、修道院の中庭に面した側廊にある>

内部は3廊式で、広い身廊と2本の側廊の間にはコリント式円柱と細い柱を束ねた堅固な柱が交互に置かれている。柱の間は半円アーチで結ばれ、荘厳な中に軽やかなリズムをつくり出している。船底を持ち上げたような天井は石の固さを上から柔らかく包み込んでいる。中央奥の内陣から階段を降りた所に古い柱とそれを結ぶ小さなアーチで囲まれた地下納骨所がある。納められているサン・ゼノの棺は新しいもの。
見どころは主祭壇を飾るマンテーニャの三幅対祭壇画「聖母と聖人」で、彼の初期の頃の傑作といわれている。三幅対なのに4本のコリント式円柱で囲まれているため、その仕切りが額縁の役目を果たし、一枚の絵のように見える。この枠組みもマンテーニャのデザインによる。中央のパネルに描かれているのは天使に囲まれた聖母子、左側に聖ペテロ、聖パウロ、福音者聖ヨハネ、サン・ゼノ、右側に聖ベネディクトゥス、聖ラウレンティヌス、聖グレゴリウス、洗礼者ヨハネが描かれている。下に描かれている3枚の小絵は「ゲッセマニの園での祈り」「磔刑」「復活」のコピー。この祭壇画はナポレオン軍がヴェローナに侵攻した際に持ち去られ、1815年に返還されている。その際この3枚の小絵は戻されなかったため、そこにコピーがはめ込まれた。

ニョッキ祭 Baccanale del gnocco

ヴェローナの有名な祭りにニョッキ祭というのがある。これはサン・ゼーノ教会の神父が昔、町の飢えている人々にニョッキ(じゃがいもと小麦粉でできた丸形のパスタ)をふるまったことに由来している。2月〜3月に行われるカーニバル(謝肉祭)最後の金曜日にパパ・ニョッキ(ニョッキ王)に選ばれた人がロバに乗り、仮面を付けた人々を従えてサン・ゼーノ・マッジョーレ教会へ行進する。教会の広場ではできたてのニョッキが町中の人にふるまわれる。ニョッキ祭が近づく頃ヴェローナの町を訪れると、「私を次期ニョッキ王に・・・」なんていうユニークなポスターや祭りの案内が至る所に見られる。