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■ドゥオーモ Duomo 
1063年ピサはパレルモ沖の海戦でサラセン人に勝利する。これを記念して聖母マリアに捧げる大聖堂の建設が始められた。工事にあたったのはブスケットという建築家で、12世紀になってライナルドという建築家に引き継がれる。円蓋が完成するのは14世紀になってからのことである。
内部は68本の円柱が密に並び5廊式に分けられており、奥行き95m、幅32mに及ぶラテン十字の形をしている。使用された円柱の多くは戦利品として、パレルモの古代遺跡から持ってこられたものである。上部には婦人のための階上席(マトロネウム)が設けられ、白と黒の縞模様で化粧仕上げがされている。天井は木製の格(ごう)天井に美しい装飾が施されている。イタリアのロマネスク教会ではこのように格天井を用いる例が多く見られるが、フランスなど他のヨーロッパ諸国のロマネスク教会では天井も石造りのものが多い。この天井は1595年の火災で焼け落ちた後に再建されたものである。
●「聖ラニエリの扉」Porta di S. Ranieri
1180年に斜塔の建設にも携わったボナンノ・ピサーノによって制作された。ボナンノはファサードにある3つの青銅の扉も手がけたが、これらは1595年の火災で焼失してしまい、1602年にジョヴァンニ・ダ・ボローニャの設計による扉に取り替えられている。現在大聖堂へはここから入場するが、冬の午後の観光となった場合は午後3時にこの扉が開くので、ここで入場を待つこともあるだろう。そんな機会に恵まれた時にはこの青銅の扉をじっくりと見てみよう。
両扉にはキリストの生涯が20の場面で描かれている。大変素朴で単純化された表現の中におおらかな力強さを感じさせる。ドイツ、フランスからの後期ロマネスク様式に分類されるが、ビザンチン(ラヴェンナ)様式の影響も見られるようだ。ボナンノの作品は他にパレルモ近郊のモンレアーレ大聖堂の扉(1186)などがあげられる。
●「聖ラニエリの墓」
聖ラニエリはピサの守護聖人として今なおピサの人々に深く崇拝されている。1161年に亡くなり質素な石棺に納められていたが、1688年にトスカーナ大公コジモ3世の寄付により立派な棺が作られた。毎年聖ラニエリの祝日である6月17日に棺が開けられ、その聖遺骸が信者に表されていたが、今では透明な棺に移されいつもその姿を見せている。6月17日の聖人の祝日には伝統的なピサの祭りである「聖ラニエリのレガッタ(ボートレース)」が催される。その前日の16日には夕方から14世紀から続く灯ろう流しが行われ、何千もの灯ろうでアルノ川が美しく照らし出される。また、共和国時代の、海運王国として栄えていたピサを思い起こさせるような歴史的レガッタが4年に一度催される。次回の開催は1999年である。
●「ハインリッヒ7世の墓」
1308年ルクセンブルグの皇帝となったハインリッヒ7世は1310年にイタリアを訪れ、ピサを大変気に入られた。1313年にシエナの近くのBuonconventoという町で亡くなり、その亡骸は彼の愛したピサの町に埋葬された。この若くして亡くなった皇帝の死を悼み、ダンテは神曲の天国編に彼を登場させている。
2人の天使のフレスコ画の下に置かれた墓碑はティーノ・ディ・カマイーノによって1315年に作られたもので、オリジナルは大聖堂付属美術館に納められている。横たわる皇帝の下には12使徒が彫られている。カマイーノはジョヴァンニ・ピサーノの弟子でよき協力者でもあった人だ。
●後陣のモザイク
中央の「玉座のキリスト」の左には聖母マリアが、右には福音者ヨハネが立っている。この「福音者ヨハネ」の頭の部分はチマブエの最晩年の作品(1302-02)といわれる。ヴェネチアのモザイクに見られるような遠近法はここには見られないが、確かにチマブエの作品は他と比べて抜きんでている。またこのモザイクからピサにおけるビザンチンの影響を伺い知ることができる。
●ジャンボローニャの作品
内陣の主祭壇に飾られている大きな十字架とその下に置かれた大きな天使の燭台も彼の作品である。 「聖ペテロと洗礼者ヨハネ」
「仔羊を抱く聖アグネス」
内陣の両サイドの柱にアンドレア・デル・サルトの絵が飾られている。彼はレオナルド・ダ・ヴィンチの技法を研究し、特に祭壇向かって右手の柱に飾られた「聖アグネス」の絵にはその背景に風景が描かれその影響が見られる。
アンドレア・デル・サルト Andrea del Sarto 1486-1530
1486年仕立屋の息子としてフィレンツェに生まれた。その為にデル・サルト=仕立屋と呼ばれている。多くの若い芸術家同様、レオナルド・ダ・ヴィンチとミケランジェロの素描を模写することでルネッサンスを代表する大芸術家の技術を吸収している。その画風にはレオナルドの影響が見られる。レオナルドがミラノへ、ミケランジェロやラファエロがローマへと行ってしまった後、アンドレアはフィレンツェで画家の第一人者としての地位を得、その生涯の大半をここで過ごした。彼は彫刻家や建築家など多くの芸術家と交流を持ち、それが人物や建物の遠近法を学ぶのに役立ったといわれている。同時代の著名人の意見に耳を傾け、それを彼自身の感性で理解し形に表し、柔らかな色使いや筆さばきで見事に人物を描き出している。1530年にフィレンツェで流行った疫病で亡くなっている。 |
●「ガリレオのランプ」
身廊のほぼ中央に吊り下がっているブロンズ製のランプは1587年にG.B.ロレンツォによってデザインされた。通称「ガリレオのランプ」と呼ばれ、ガリレオ・ガリレイがランプの揺れを見て「振り子の等時性」を直感したといわれている。しかし実際はガリレオが振り子の等時性を発見したのはこのランプが作られる6年前のことだと考えられている。 →ガリレオのページへ
●「説教壇」<聖堂内で一番の見所>
ジョヴァンニ・ピサーノによって1302年から11年にかけて作られたイタリア・ゴシック彫刻を代表する作品である。1599年に一度解体され、1926年に再び組み立てられている。説教壇は8枚のパネルを6本の円柱と人物像の彫られた5本の柱が支え、大理石でできている。中央の柱には信仰、希望、慈愛を表す擬人像が彫られている。パネルには聖書の場面が浮き彫りで彫られており、その主題は「洗礼者ヨハネの誕生」「受胎告知」「マリアのエリザベト訪問」「キリスト降誕」「キリストの公現」「神殿奉献」「嬰児虐殺」「受難」「磔刑」「最後の審判」などである。1枚のパネルに数場面を表現するという手法が取られており、人物像に動きや激しさが感じられる。パネルの下の帯状の銘板には
「すべての最良のものの源をなし、これらの純真なる形像を作り出す人間を
世に与えし 真の神を讃えん。この作品は主の年1311年に
ニコラの子ジョヴァンニ一人の手によって完成されり」と刻まれている。
ジョヴァンニはその他大聖堂と洗礼堂に聖母像の彫像も残している。これらのオリジナルは大聖堂付属美術館に展示されている。 →ピサーノ親子のページへ
●ファサード(正面)
設計はライナルドによる。最下層部にはブラインド・アーケードが並び、ピサ様式の特徴でもある菱形模様で飾られている。3つの青銅の扉は1602年にジョヴァンニ・ボローニャによって作られたもので、中央に「マリアの生涯」左右2つの扉に「キリストの生涯」が描かれている。「マリアの生涯」の扉の左部分に、犬、カエル、2匹のトカゲなどが描かれており、それらに触ると夢が実現するという言い伝えがある。参拝者達に触られてそこだけ光っているので分かりやすい。一番左の扉の横には12世紀に大聖堂の建築にあたった「ブスケットの墓碑」がある。洗礼堂の前あたりまで下がって、ファサード全体を眺めてみよう。
ファサード全面には無数のアーチが5段にわたって整然と並び2段目から上にはそのアーチとアーチを支えるかのように優美な柱が並んでいる。実際にはこれらの柱は飾りであり、建物を支えてはいる訳ではない。この無数の柱が建物全体に軽快さを与え、建物全体にレース模様を施したような優美さを感じさせている。これがピサ様式の一番大きな特徴と言えるだろう。もっと離れなければ見えないが、建物の上にのる少し先の尖った感じのする円蓋にも同じような柱とアーチによる飾りが施されている。
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