交通・概要




ローマから国鉄ICにて3時間10分、直行で4時間
フィレンツェから国鉄直行で60分
ルッカから国鉄で30分
フィレンツェから1時間15分〜1時間半<A11→S12>
ルッカから約30分



概要とピサの歴史

トスカーナ州、ピサ県の県都、人口約99.000人。アルノ川両岸に栄えた町。
古代ローマの時代から軍港として栄えた。8世紀から9世紀にかけてサラセン人に対する軍事基地としてまた地中海の商業基地として発展した。11世紀に共和国となり、ヴェネツィア、ジェノヴァ、アマルフィと並ぶ海洋王国として、トスカーナはもちろんコルシカ島やサルディーニャ島、遠くシシリー島までをその影響下に納める。1064年パレルモ沖の海戦で勝利し、それを記念して大聖堂の建設が始まる。ピサがもっとも栄えたのは11世紀から13世紀の初頭にかけてである。ピサは1284年メロリア海戦で宿敵ジェノヴァに敗れ、地中海支配の時代に終止符を打つ。内陸へ目を向けたピサと港を狙うフィレンツェ、ルッカの連合軍との衝突が続き、共和国内部では法王派(グエルフィ)と皇帝派(ギベリン)の対立が目立ち、国は力をなくし、海外の領土を失っていった。1406年ついにフィレンツェの支配下に置かれてしまう。1494年フィレンツェの危機に乗じて一時独立を果たすが、1509年にはメディチ家によって再征服される。メディチ家はピサ大学に対して取り計らいをしたり、海の安全を守るためにサント・ステファノ聖堂騎士団をピサに置き、町を重視した。1860年サルディーニャ王国に併合。近代になってからは町を取り囲む地域の産業化なども進み、観光、商業、学問都市として発展している。

11世紀から13世紀にかけてピサはその発展の下、ピサ・ロマネスク様式を開花させる。ドゥーモ広場に建つ大聖堂はその力の表れである。建築とともにニコラ・ピサーノや息子ジョヴァンニなど多くの彫刻家がその装飾に携わった。

1343年にピサ大学が創立された。16世紀にガリレオ・ガリレイがここの学生となり、後に専任講師として教鞭をとったことで有名である。
現在大学はトスカーナ周辺、イタリア国内のみならず世界各国からの40.000人を越える学生数を持つ。過去にノーベル賞受賞者を2人出しており、伝統と実績のある大学である。



世界史の中のピサ

ピサ宗教会議
1409年教会の大分裂を解決する目的で開かれた宗教会議。
教皇庁は1309年から77年までの69年間アヴィニョンに置かれていた。その間7代の教皇が在位するが、グレゴリウス11世の時代に教皇庁はローマへ戻る。その後ウルバヌス6世が選出され次の教皇となるが、対立していたフランス人枢機卿が教皇クレメンス7世をたててアヴィニョンに戻る。ローマとアヴィニョンで2人の教皇がたつ、教会大分裂の時代が続いた。ピサの宗教会議は教会の統一を図り、アレクサンデル5世を選出する。しかし結果はローマとアヴィニョンそしてピサ宗教会議で選ばれたアレクサンデル5世の3人の教皇が並立する事なってしまった。1417年コンスタンツで再び宗教会議が開かれ教会の分裂は解決を見た。